新高山百合
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中 秋
2012-09-30 Sun 20:00

蔡 永興      月冴えて夜空の雲の輝きぬ涼しき風も秋告ぐるごと

蔡 紅玉      何時の間に暑さ遠のきの中秋の風が届くるざぼんの香り

林 百合      亡夫植えて亡夫の見ざりし文旦に涙誘わるる中秋近づく

(同 上)      文旦の花の香愛でし君しのび初咲き一枝墓前に捧ぐ

蘇 楠榮      仲秋の近しと届く文旦柚心溢るるみんなみの香よ

黄 教子      文旦も甘くなりたり剥きゆけば秋の香気のさやかにたちて

劉 心心      中秋の近づく庭に花々の色香戻るを見るぞ嬉しき

呉 戀雲      中秋に欠かせぬザボンや月餅の市場にあふれ十五夜を待つ

蔡 西川      仲秋に月餅贈る習慣に娘なきわれは唯貰ふのみ

鄭 埌耀      月餅を選り好み食ぶるこの中秋ひとりにひとつ買ひし日も中秋



林 澤榮      夢うつつ空見上ぐれば中秋の月空に満月皓々と照る

郭 清來      満月に流るる雲は仙女らのヌードショーかも空模様美し

張 瑄爐      名月をさらに仰ぐは幾度ぞ今宵こころを語る人もがな

蘇 友銘      月あかりに妹の笑顔も満月で夜来香の匂ひあたりただよふ

謝 雲嬌      仲秋の夕月眺むる心から心こごろに繋がれにけり

郭 文良      右の月ベランダの我にほほ笑みて左の星がウインクし呉るる

陳 清波      皓々と十五夜の月見下すに萬の町灯今宵はうつすら

黄 秀菊      満月は仲秋なればひとしほの光冴えゐむ吾が故里にも

呉 戀雲      悩みごとしばし忘れて月見する中秋の節句に人らはづみをり


黄 秀菊      中秋の月いと円くフォルモサにざぼんと月餅の香り漂ふ

林 燧生      皓々と輝く月に父母と芒と餅の月見思ひ出づ

黄 閨秀      幼き日十五夜の月待ちて食べし菓子の旨味は今も忘れず

蘇 友銘      十五夜に月餅に似し月一つ星なき空に吾を招きをり

鄭 埌耀      月に寄する想ひをよそに月餅は新奇を衒ひ角型となる

陳 淑媛      中秋に族らと囲むバーベキュー炭の火弾き香り漂ふ

蔡 紅玉      中秋の月朦朧と薄明かりバーベキューの主役今や子等になる

黄 博富      山小屋に月無き中秋焼肉を友と囲みて夜を語らふ

王 正子      台風で見られぬ月もバーベキュー食の台湾中秋の名月



歐陽開代      ゆるゆると十五夜の月昇りけりおとぎばなしに孫の目光る

黄 教子      ふるさとの母の作りしゆかた着て月見に行くと子らははしやぐ

高 寶雪      中秋節遠住子孫を偲びつつ老いの哀愁とりとめもなし

呉 順江      皎かうと光を放つ望月よ吾娘住む国を円かに照らせ

林 月雲      手をとりて語りし友の恙なきや海隔つとも名月一つ

劉 傳惠      中秋に白髪の友集ひ来て楽しく歌ふ日の本の歌

蘇 楠榮      月みれば友し思ほゆうらさびつ何時か語らはむ事の多きかも

黄 教子      きのふ見てけふ見てまたを明日も見む異郷の友なる秋の夜の月

林 蘇綿      十五夜をうかららと囲む車椅子押しつ押されつ縁の絆

胡 月嬌      皓皓とおし照る月は囁くや千の風になり吾に来よとしも

林 素梅      中秋の月眺むれば亡き夫の面影映りてまぶたのうるむ

李 錦上      櫛の歯の抜かるるごとく兄弟の減りゆく秋の月さびしかり

厳 慶烈      月の影踏みにつつゆく路地裏に君を偲べば恋しさ募る

趙 寛寛      月見終へ家に戻ればお月様窓の外より吾を待ちゐる

高 寶雪      中秋の月は窓辺に現はれて胸内に計る残年の夢


蘇 友銘      秋風にそよぐススキと白雲に追はれて月が見えかくれする

傅 仁鴻      お月さま雲のトンネルくぐりぬくように嘆きは歳月で消える

黄 昆堅      曇り日の十五夜の月雲の間を見え隠れしてゆるりと覗く

呉 淑子      十五夜に雲がかかりてさだかには見えねど今宵月見の宴

佐藤厚子      月見えぬ部屋に籠りて胸中に月を抱きて一人の宴



鄭   静      いざよひの月は雲なく輝けど虫の音寂れ秋さかりゆく

蘇 楠榮      いざよひの月を軒端に高澄みて独り立つ夜の物思ほしき

黄 教子      十六夜の月の光の澄みきぬとかすかに動く風頬に受く

劉 玉嬌      宵口の月ほのかなるに出で見れば人ぞ恋しき秋の夕暮

鄭 克温      月冴ゆる夜のしじまにキリギリスの音に耳すまし秋はさやかに

劉 玉嬌      人に会はぬ道が嬉しや風涼し仰ぐ秋空台湾をし思ふ

蔡 焜燦      月を見て心に祈るは台湾に正しき采配神よ賜はれ

(同 上)      名月を紅群雲にさへぎらる病める祖国よ起て立ちあがれ




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終戦日を迎え日本語族の詠める歌
2012-08-15 Wed 06:00

黄華浥      日の本は我の心の祖国なり戦に負けてくやしき思ひ

林月雲      大戦の最中なれども世知らずは明日の太陽永久と信じて

黄昆堅      幼なの日防空頭巾を携へて登校したる戦中の我

(同上)      幼なの日住みし錦町爆撃にて町中丸焼け記憶は新た

林燧生      疎開地で戦き眺めし台南の硝煙の空阿鼻地獄かも

林聿修      実らぬも幸せの余韻消えやらず空襲最中の小さき初恋

林燧生      汗滲む動員作業空睨み酷暑に堪えし学徒いとしも



蔡永興      戦争のさなかの我は小学生物資なくとも人情あつし

林禎慧      「ゼイタクは敵」なりのスローガンありて週一回の日の丸弁当

荘淑貞      一握りの子らが貰ひし飯家族分けあふ戦時の苦しさ

黄華浥      戦前は物少なくも「正」ありて戦後来たりしは横領の群

李錦上      戦中派の「勿体無い」が抜け切れず賞味期限に妻のためらふ

高淑慎      封筒の裏を返してメモにする哀しき性よ戦中派われ

林禎慧      戦時にも「芸術」は不可欠と我が良師コーラス団組み我はマドンナに


荘淑貞      我が胸に映るは恋しき学び舎の我が師の面影今も忘れず

(同上)      引き揚げの我が師の行方今何処国変はれども安否気遣ふ

游細幼      師訪ひし日台湾の子供ですと他人に語る師の言葉の温し

(同上)      ひたすらに母と慕ひし恩師いま如何に在すや消息絶えて

劉傳恵      日々仰ぐ恩師の遺墨色褪すれど敬慕の念は何時何時までも



黄培根      終戦に呱々あげし子ら何時の間に老人会に時は流れゆく

曽昭烈      若き日に戦の日々のありしこと楽しきにあらざれど懐かしく

温西濱      散華せる弟の形見のハーモニカくりかへし吹く「燃ゆる太陽」

李錦上      国のため戦死せし兄を愛しみてはらから集ひさくらを歌う

(同上)      遠き日に軍事郵便くれし戦友大方逝きて思ひ出侘し

(同上)      「玉砕」も死語となりしか吾の描きしサイパンアッツの地図に思ひあり

林碧宮      捨て難き日本の学友の古手紙に今何処にかと青空に聞く

温西濱      日本のともの思ひ出なつかしく「同期の桜」を合晿するかな

游細幼      忘年会に勇みて唄う「軍艦旗」戦のありし日などは忘れて

温西濱      ザクザクと軍靴の音に杳き日の兵営生活が胸をよぎりゆく

林蘇綿      徴兵のはがきの命長らへて短歌を嗜み余白を充す


黄華浥      曽つての日良き御世ありてこの島に爺々は偲ぶ日の丸の旗

荘淑貞      終戦にて異国の人に成りし我日本を愛する心変はらぬず

(同上)      学び舎に四大節に歌ふ君が代の胸に響きし昔偲ばる

李錦上      遠き日の日本の地図の台湾を孫らに説けば胸わびしかり

江槐邨      澄み渡る大空見つめ「日本晴」と教はるる彼の日も七十路の昔





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皐月の台湾を詠ふ
2012-06-23 Sat 12:00

姚  望林      しとしとと終夜(よもすがら)ふる五月雨に犬の遠吠え闇に聞ゆる

黄  秀菊      梅雨入りに大地潤ほひ田植え終へそよ風吹きて稲穂待たるる

辛  秀蓮      梅雨に入りめくる暦も侘しうてせめて好(よ)きこと和歌に詠みたし

胡  月嬌      この日頃梅雨に洗はれ緑濃き廻りの木々の生命あふれて

蔡  龍鐘      梅雨来れば濡れて咲きをる鳳凰花女心を燃やせといふがに

蘇  友銘      雨が来てアジサイの花垂れ凋み忍ばぬ乍ら切りて別れぬ

李  英茂      五月雨はハイビスカスのうれし涙落つる間際に真珠と光る

劉  傳恵      夏日照り紅の仙丹梅雨浴びて常に笑顔で美しく咲く

毛  燕珠      梅雨時は鬱陶しきも豊作の実り思へば心静けし



周  福南      端午節菖蒲を挿して邪気祓ひペーロン祭りは川淨めゐて

謝  雲嬌      端午節車も人も混み合ひて龍舟賽(ボートレース)は夕映えの中

毛  燕珠      詩人らの端午の風に集ひきてひげひねりつつ得意の字句を

周  福南      端午の日粽を食し卵立てボートレースに孫の喜ぶ

曹  永一      もろもろのダム枯れんとす黄金の雨降らせ給へ端午の祈り


劉  玉嬌      端午近し日がな土砂降りに思ふ事粽結ひし日菖蒲求めし日

蔡  紅玉      竹の葉の香り巷に端午節粽作りは初夏のいろどり

李  英茂      旧暦の五月が続く閏月も粽の影はちらりほらりと

黄  教子      葉蘭ほどの葉広の笹に包みゆく台湾粽子は四つの角あり

黄  教子      笹の葉の清かに香る廚辺に君に教はり粽子(ちまき)を包む

林  素梅      端午節粽結ひにしあの頃よ姑の手まねて一つ又一つ

游  細幼      笹の香の沁み入る記憶杳き日の母の結びし端午の粽

頼  白玉      端午節食べ食べ思ひ出す母の作りしあの味恋し

蔡  永興      過ぎし日の端午に母の作りたるチマキの味と香は二つなし

林  百合      たつ湯気に粽の匂いただよいて廚の中へ孫ら駆け込む

蔡  龍鐘      端午の日に親子揃って朗らかに童謡歌ひチマキを食(たう)

呉  順江      心こめ友が作りし粽の香口にひろごりなさけ伝はる

謝  雲嬌      元気です粽一つに又一つ止まぬ雨の日老友の文

黄  閨秀      手作りの粽の香りに包まれて今年も無事にと端午の節句

頼  淑美      手作りの粽の香りここかしこよき慣はしも代々継(よよつ)がるるや



劉  心心      新緑も夏めきにけり枝先のマンゴーすでに薄紅初めて

林  燧生      薫風にマンゴー一つ落ちて来る音もさみしき山里の夜半

呉  戀雲      出ざかりの茘枝蓮霧のうまき味この恵みを食み端午を祝ふ

細木仁美      マンゴーやライチが並び朝の市果実の宴に心も踊る

高見直子      マンゴーやライチの並ぶ果物屋今年も来たりフルーツの夏

陳  淑媛      嫁ぎたる孫より届くマンゴーの甘き香りの部屋内に満つ

林  禎慧      好物のマンゴー供へて憶ふかなバケツ一杯食べたと云ふ君


蔡  龍鐘      風鈴の涼しき音を聞きゐれば梅雨の名残りに白南風よぐる

蘇  楠榮      梅雨あけて数多に騰る水烟のかげ清かなり遠の山腹

高井敬子       長き夏始まり告げむと鳴き初むる午後の静寂(しじま)に初蝉の声

劉  玉嬌      蝉しぐれ暮れゆく空の茜雲円盤となりて陽は落ちてゆく

游  細幼      蝉しぐれすずろに浴びてゆるぎなし地蔵菩薩のおだしき瞳

林  禎慧      梅雨明けのふる里の庭にわが佇ちて蝉のコーラスしみじみと聞く

鄭   昌      山奥で鳴く蝉の声ジージーと青葉はゆれて風の道かな





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あの日のバイクと紋白蝶、そして私と短歌との出逢い・・・
2012-05-17 Thu 23:01

台湾を紹介する日本の番組で、必ず出てくるのが「信号が緑になると数十台のバイクが走り出す」場面で、きっと日本人には驚くべきシーンなのでしょう。その場面を見る度に私はちょっと恥ずかしいようなまた嬉しいような気持ちになります。というのは私も台湾の百五十万台あまりの「バイク族」の一員なのですから!        
        バイク族
スクーター歴20年を越える私は、台北市の自動車の犇く中で自在にその合い間をかいくぐり進んでいますが、バイクは停車に便利で交通費の節約になる仕事の上でのグッドパートナーです。

バイク族にとって、傍へ突進してくるバス、タクシーは最大の脅威です。排気ガス、風や日に晒され雨に濡れることは身体への試練でもあります。唯一の癒しは四季の変化や風景を身近に感じられることでしょうか。台湾歌壇に短歌を投稿するようになってから、バイクを走らせている時に目にする空の雲の移り行く様や、遠くに見える山山、花や草木、様々な人々の群れなどが全て歌への霊感を与えてくれるものとなり、信号待ちの時などはそれを三十一文字にまとめたりします。

毎年3月から5月は紋白蝶の活動する季節で、その昔「胡蝶の王国」と呼ばれた台湾には四百種類以上の蝶の品種がいて、中でも紋白蝶は一番数の多い品種の一つです。台北のような大都市の通りや巷にも飛び交う可愛い姿が見られます。
紋白蝶(1)紋白蝶(2)
バイクで走るとき遠くに白い蝶の姿を見ると、まるで空中で雪の花が舞っているようです。また赤信号のときにバイクを止めて道の辺の草花の中で戯れる蝶を見るのは最高の安らぎの時です。当然蝶にとっても危険な車の群れに紛れ込みやすいことになります。

台湾では、毎年4月から5月に百万単位のムラサキマダラが北上しながら繁殖することがよく知られています。ハイウェイの彰化県林内のあたりはムラサキマダラが北上する時通る「蝶の道」になっており、その季節には一分間に万を越えるムラサキマダラが飛んでゆき、スピードを出して進む自動車にぶつかってたくさんの蝶たちがよく死にますので、蝶の安全を守るために、台湾高速公路局では毎年「周期的に外側の車道を封鎖して、紫外線の灯で誘導して道に予防ネットを設置する」などの措置を採り、蝶の季節ごとの移動に道を与えています。当時の宣伝文句に「ムラサキマダラに道を譲れば、ムラサキマダラは毎年ひらひらと舞いながらお礼をしてくれる」というのがありましたが、心打たれる美しい話です。
    

でも都会で単独に飛んでいる紋白蝶はそんなに良い待遇はなくて、スピードを出して突進してくる車が巻き起こす風に吹き飛ばされたり、ぶつかりそうになる時には、その身の安全を思って冷や汗が出ます。

このように春にはいつも目にするものですが、4月14日に、バイクで信号待ちしていたとき、バイクの群れの中に風に乗ってひらひらと紋白蝶が漂ってきて、私のバイクのハンドルにふわっと止まりました。春風がつれてきたこの客に私は驚喜しました。頭を上げてみると、あと数秒で信号は緑になります。でもエンジンをかければ蝶は驚いて飛び去りますし、どうしたらいいかと……。それから蝶が飛び去るのを見送りながら、車に巻き込まれないで無事に飛んでいって欲しいと願いました。

この蝶との出逢いで、三宅教子さんが短歌の指導のときに言われる「短歌は日常生活の中にあります」という言葉を思い出し、帰ってからあの時の感動を短歌にしてみたいと、限りある私の日本語の語彙で一晩考えて、やっと一首にしました。でも言葉の順序をどうしたらよいか迷い、三宅さんに次の歌の添削指導をお願いしました。
    ハンドルにしんと佇む春風の贈りもの白蝶(ちょう)よ発車躊躇ふ
    春風の贈りもの白蝶(ちょう)よハンドルにしんと佇む発車躊躇ふ


三宅さんからこのような返事がありました。
『あなたの短歌、素敵な一瞬を捉えましたね。ちょっと、直してみました。
○ 春風に乗りて白蝶ハンドルにふはり止まれば発車躊躇ふ
春風の「贈り物」という表現もいいのですが、状態を詠んだほうがいいと思います。また、しんと「佇む」というのは何となく、人間が立っているような感じですので、「ふはり止まれば」にしてはどうでしょうか。とてもいいお歌です。』


うわあ!三宅さんのお褒めの言葉に心の中で思わず「やった!」と叫びました。彼女の説明を通じて短歌表現の方式と、「しんと佇む」の意味を学びましたし、「ふはり止れば」に変えたら歌全体が軽やかに漂う感じで、実に不思議です。いつも三宅さんの添削を受けた後は、私の歌が素敵な歌に変身しますが、今度もまったく私の心にぴったりするものになったので、この短歌を四月の詠草として投稿しました。


台湾歌壇の詠草は投稿規程が毎月の例会(毎月の第四日曜日)の一週間前までで、ハガキやファックス、またはEメールで三宅さんに送ります。彼女がプリントに整理してコピーし、歌会で配ります。月例歌会で選ぶ歌は、二枚の紙が配られて、出席した人は詠草プリントの中から二首を選んでその紙に番号と同鳴と添削などを書き込み、時間になるとそれを各自が順番に発表します。
台湾歌壇の詠草

それから北島徹顧問が短歌指導のお話をなさり、その後を三宅さんが作者の名前を発表し、その月で最高得点の出席者に、日本から送られてきた短歌結社の歌壇誌や関連発行物を賞品として渡します。例会が終ると各自が選んだ歌評を出席して居る人に手渡し、或いは三宅さんに渡して、欠席者に送ってもらいます。
北島徹顧問三宅教子事務局長

4月22日の月例歌会では思いもかけずに私の歌が5人の先輩達の共鳴を得ました!私の歌が選ばれて歌評を聞くときに顔がカッカと熱くなり、恥ずかしくて隠れたい気持になって、先輩方が評をなさる内容をきちんと聞けませんでした。以下はいただいた歌評のメモです。
まずは麗しい陳瑞卿先輩の歌評です。
『58番を選ばせていただきました。春風に乗りて白蝶ハンドルにふはり止まれば発車躊躇ふ  同鳴点は古(いにしへ)から恋物語には蝶々が付き物でロマンチック・・・。さて、ハンドルに止まりて作者に何かのメッセージかも・・・』
陳瑞卿先輩  

北島徹顧問の奥様、やさしい北島和子先輩の歌評は次の通りです。
『最近公園等で色とりどりの花に白い小蝶がひらひら飛びかう姿がよく見られます。その度に何とかわいいのだろうを思っておりました。そんな白い蝶がハンドルにとまったら、私でも発車できず、みとれてしまうだろうと同感しました。』
北島和子さん

歌壇の元老、いつも優雅な感性をもつ言葉で歌評なさる林聿修先輩の歌評。
『春風の中を颯爽とマイカーを駆る作者を慕いて舞い込んだ白蝶にあら!と一瞬戸惑いを覚え乍ら、胸もときめいたでしょう。まるで「少しお話しましょう」とでも言いたそうな白蝶に・・・、つくづく発車を躊躇われた作者のおやさしさと笑顔が思い浮ばれ、すがすがしく微笑ましい思いで読ませていただきました。』
林聿修先輩  

18歳の時の勇敢な経歴(228事件の時の)を歌集で知って、心から敬愛する蘇楠榮先輩の歌評です。
『心ある人に共通のためらひです。いい瞬間をとらへて歌にしましたね。』
このところ視力がどんどん悪化されている蘇先輩は、歌を選ぶのにとても時間がかかるそうで、そのため三宅さんは蘇先輩のために前もって詠草プリントを送ってあげています。蘇先輩が選歌なさるときの真面目な姿には心うたれます。
蘇楠榮先輩  

最後は私の歌の先生でもある三宅教子先輩の歌評です。
『心地よいみどりの春風に乗って漂ってきた白蝶がスクーターのハンドルにふはりと止ったのですね。発車させれば白蝶は逃げてしまいます、せっかくハンドルに休んでいるのに、発車をためらっている作者の心やさしさ、うららかな春日の中で、一瞬の詩をとらえていて、その情景と作者の嬉しい驚き、とまどいがまるで見えてくるようです。』

皆さんの歌評に私は感謝感激しながらも、短い三十一文字でもって、当時感じた事を完全に伝えることができたことは実に驚くことであり、短歌が持つ力にまたまた畏敬の念を覚えました。


選歌が終ると、北島徹顧問が四月の詠草について素晴らしいお話をしてくれました。北島先生のお話は、三宅さんがまとめて「四月の通知」の中に載せてくれます。それは次のようなお話でした。
 『先月は「プラス志向の歌を」ということをお話いたしました。今日のお歌にはプラス志向の歌が多い気がします。66番の【台湾と日本の「光」ひた求め台湾に生くるわが妹よ】の歌で、「光」が出てきます。光とは何なのかと思う事がありました。十数年前でしたか日本人学校の小学生の詩で「自分は今台湾の光を身体いっぱいに浴びている。どうしてこんなに明るいのか、それは台湾の人の笑顔を反射しているから」というような内容でしたが、台湾の人の笑顔は実に素晴らしい。

 今日の歌の中にも「笑う」「笑む」が出てきます。1番の【英雄に杖は似合はぬわよと笑む瞳の奥に滾る慕情の】、6番の【暁暗の散歩の小径擦れ違ふ笑顔の会釈心明るむ】、65番の【休日に店を手伝ふ子の笑顔心なごみても一つ買ひぬ】このような笑顔に接するとこちらの心が明るくなります。歌にはつらい事、悲しいことを何でも詠って心が晴れる、慰められる作用はあります。それでももう一つ積極的に前向きに歩こうとしている姿は美しいものです。

 日本の「咲く」という字はもともと「笑う」という意味で、私の娘は「咲榮」と書いて、「さきえ」です。その意は「花がいっぱい咲いているような笑顔をふりこぼす」で、そのとおりの娘になりました。花が咲いているのに接すると心が明るくなりますが、「咲く」というのは心に笑いかけてくれると受け取るのです。花が咲くのを詠った歌も多くて、これも私たちの心を明るくしてくれます。14番の【朝摘みて胸に飾りしペンダント香りも高き玉蘭の花】これも玉蘭のペンダントによってどんなに自分の心が楽しくなったか。
 
  私たちの心を明るくしてくれるものを詠うと、読んだ人にも伝わって連鎖して拡がってゆきます。55番は【夢の国なりこの台湾は】と詠って、歌に力が籠っています。最高点の37番こんな前向きの歌はありませんね。大いに夢を見ましょう。』



作者を発表後に、三宅さんは今月の最高得点は、8点入った呉炎根先輩の歌ですと発表されました。その歌は、
○ 我も欲しやおいらくの恋夕やけのやうに美しくやさしい恋を
8人もの人がこの歌を選ばれたということで、皆様が心に願っている事が分かりますね」と三宅さんが言ったので、みんな爆笑しました。また「呉炎根さんは台南にお住まいですが、お電話をかけたときに息子さんが出られて、お母さんを呼んでくださったのですが、随分時間がかかりました。「ごめんなさいね、歩くのが難しくて」とおっしゃっていましたが、車椅子でお嫁さんやご子息が付き添われて病院通いもなさっているようです。でも、このようなロマンチックな夢を追う短歌ができます。身体は老いていっても心はとてもお若いですね。私たちも精神を若く保って短歌を詠んでゆきたいですね」とも言われました。

次に高得点だったのは5点入った林燧生先輩の歌です。
○ 曉暗(あけぐれ)の散歩の小径擦れ違ふ笑顔の会釈に心明るむ
林先輩は台南の人で、短歌のほかにもエッセイを書いて、日本語の「エッセイ集」を何冊も自費出版しておられるようです。散歩の小道で知らない人同士でもすれ違うときに笑顔で会釈する和やかな風景を歌に詠まれて、読む人の心まで明るくしてくれるようです。まさしく北島先生のおっしゃる「プラス志向の歌」です。

高得点のお二人が台南の方で、欠席なので、次に同じく5点入っていた私の名前が呼ばれました。賞品の歌集を受け取りに前へ出て行くとき、皆が「おめでとう!」と言ってくださって、とても嬉しかったです。みなさんの笑顔は実に素敵です!特に三宅さんから賞品を受け取ったときの感激は言葉ではうまく表現できないほどで……。

三年半前に入会した時に、初めは短歌がわからず、一冊づつの歌集の一首一首を模索してきて、次第にその意味が分かるようになって来ましたが、やはり短歌を作る心境には自信がなくていましたが、その原因は「思いが多すぎる事」で、三十一文字にはとてもこの思いをはめ込められないので、自分の言いたい事が多すぎる事に気づきました。三宅さんは「難しいことを詠む必要はなく、その時時に心の底から感じたことや感動した事、喜怒哀楽を素直に表現してゆけばいい。一首に納められない思いは連作にして何首にも詠めばいいのです」と言ってくださり、常に励ましてくれたし、また私が紹介した友人が入会するようになっても、自分が短歌を作っていないのは恥ずかしく思い、ついに昨年の8月に、台湾の政局への憤懣が噴出した気持を詠んだのが私の初出詠でした。
    この国の選挙はまるで敵の罠不正な賭博に運命委ねて

この一首は三宅さんが添削して完成したとき、自分の言いたい事が短歌にまとまったので嬉しくて三宅さんに電話で涙声になってお礼を言いました。それで堰を切ったように一息に四首の歌ができました。
    日本語の未熟さもどかし入会し三年経っても道は遥かに
    詠いたいこと多いはずという君の期待に早くわれ応えたき (三宅教子事務局長)
    作歌して送ってくれれば見てあげる先輩たちの励まし嬉しい
    この私も短歌の作れた嬉しさに涙を流して万歳叫ぶ


それからは毎月投詠するようになり、自分も台湾歌壇の一員であるという実感がし始めました。しかし台湾歌壇の先輩達はみなさん素晴らしい秀作ばかりで、私が賞品をいただける日がこようとは思っても見ませんでした。三宅さんが添削してくださった御蔭で、先輩方の共鳴を得ることができたのです。


蔡焜燦代表も励ましてくださって、あなたの今月の歌は有名な俳句に似通うところがあるよとおっしゃって、「朝顔に つるべ取られて 貰ひ水   加賀千代女」の俳句を教えてくれました。この俳句の意味を知った後、とても私の歌は及ばないと思いました。その後、蔡先生は日本人をご招待なさっての宴会で、いつもの蔡先生らしいユーモアで私のことを紹介してくださるときに、「この子、怖いよ。今月の歌会で、彼女の歌は5点も獲った!代表の私や三宅事務局長でも2点ぐらいなのに」と言ったのでみんな笑いました。実は私の短歌が進歩すれば、蔡代表は喜んでくださいます。というのは蔡代表は台湾の若い人たちが、日本の短詩型文学で力を発揮して、呉建堂師が創立した台湾歌壇を永続することを非常に望んでおられるからです。

今月の台湾歌壇の二人の若い方の歌をご紹介しましょう。
○ 台湾をきっと守ると襟正し百合に抱かるる遺影を見つむ   舘量子
私が感動した一首です。舘量子さんの作と知ったときに、彼女に感謝感激の心が湧きました。彼女が白色恐怖時代に迫害された人の告別式に参列したときの心情だそうで、故人もきっと彼女の歌を受け取ってくださったことでしょう。
蔡焜燦代表と舘量子さん 蔡焜燦代表と舘量子さん

○ 生まれ来て遣り甲斐ある事遣りたしよ夢の国なりこの台湾は    何朝棟
弁護士の何朝棟さんと私は独立派であり愛日派の同志です。この歌は、彼の初出詠なのですよ!3月に月例歌会にお客様として参加されて、帰ってからすぐ歌を作り、入会したというスピーディな鮮やかな挙動に私は吃驚しました。私は入会して3年間も無声で過ごしてやっと短歌ができたというのに。そこで何さんに冗談紛れの抗議をしました。「あなたは短歌に対して畏敬の念がちっともないんですね!」と。
何朝棟さん 何朝棟さん

台湾歌壇にまた若い人が加入してくださってとても喜ばれた三宅さんは、何さんの歌を選んで、「この世に生まれきたからには遣り甲斐のあることを遣りたいと願う作者には若々しい理想が漲っています。大切なもののために生命を燃やしている作者にとって、この台湾は「夢の国」だと言うのです。ほんとうに嬉しいです。「台湾の悲哀」と言われ、「将来は強国に呑み込まれる」とか悲観的なムードの広がる中で、力強く遣り甲斐のあることを遣ろうとしている作者は「夢の国台湾」を実現してゆく大きな力になる人だと思います。」という歌評をなさいました。


歌会が終って、先輩達が私の歌にくださった歌評の紙の裏のメモにまたまた私の胸は熱くなりました。
陳瑞卿先輩は「敏慧さん、お目出度う
林聿修先輩は「敏ちゃん!
三宅教子先輩は「黄敏慧さま とてもすてきな一瞬を歌にしましたね
蘇楠榮先輩は「黄敏慧様
視力の弱られた蘇楠榮先輩が、一筆、一筆苦労なさって書かれた字の跡を見ると、言葉がでなくなりました…。
この5枚の歌評と賞品の短歌誌「あすなろ」は全部私の宝物です!
4人の先輩方の歌評蘇楠榮先輩の歌評短歌誌「あすなろ」


悠久の歴史の中で育まれた素晴らしい短詩型文学のある日本に感謝します!

私に短歌を学ぶ機会を与えてくれた台湾歌壇に感謝します!

ずっと私を激励してくださった歌壇の先輩方と日本の歌友方に感謝します!

私と一緒に11年間も奮闘してくれたバイクと風に乗ってやってきた紋白蝶に感謝します!

「短歌は日常の生活の中にあります」という三宅さんのこの言葉を忘れないように、
三十一文字で台湾の日常の風物への感動を表したいと思います。
次の目標は「バイク族の心の声」として12首詠に挑戦する事です!頑張ろう!



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4月例會でのグッドニュース ー 三宅教子さんの歌集「光を恋ひて」の出版!
2012-05-02 Wed 21:10

今年1月に台湾歌壇の黄教子事務局長(以下三宅教子さんと称す)が、4月に個人歌集を出版すると知ったとき、とても嬉しくまた期待に心躍りました。というのは三宅さんは私たちの台湾歌壇にとって、歌壇の皆さんの心の支えであり人生を相談できる大黒柱であるだけでなく、その優美な短歌作品はいつも私たちの心を打ち、優しく善良で謙虚でありながら毅然とした正義感に富んだ性格は、私たちの心の中の「大和撫子」そのものだからです!

台湾歌壇にとってこのように大切な日本人女性、彼女と台湾歌壇はどのようにして縁が結ばれたのでしょうか?ここに彼女をインタビューした詳しい紹介があります。
「台湾にある日本を伝えたい─台湾にいきる日本人たち<2006-01-10>」
http://www.tit.com.tw/page_j/food1_1.php?id=313&key=10&tit

私が三宅さんに初めて出会ったのは、2004年「友愛会」の例会で、あの頃は陳絢暉会長の時代で、当時三宅さんは日本語の文章を朗読して、その独特な優美な声が印象深く、その時に彼女が「台湾中央放送局」で日本語放送をしているアナウンサーだと知りました。その時には語り合うことはなかったのですが、その後三宅さんと今のように深くお付き合いすることになるとは思いもよらなかったのです。ことに台湾歌壇に入会してからは、いろんな面でお世話になり、短歌のご指導を受けるほかにも、彼女の考え方や人格に深く影響を受けています。

待ちに待った4月が来て、三宅さんから「歌集が出来上がったので、皆様には22日の歌会に配りますが、あなたには先に送ります」とメールが来ました。13日に届き、急いで包みを開けてみると、淡黄色の和紙に「光を恋ひて」の題と一株の蘭の絵がとても調和して、風雅な表紙になっています!
                歌集『光を恋ひて』

第一ページを開くと、蔡焜燦代表の序文が飛び込んできました。
『 台湾歌壇の重鎮、台湾歌壇の事務局長としてここ数年来歌壇を支えてきた黄教子(本名三宅教子)さんが歌集を出版するに当り序文を依頼された。

 二つ返事で引き受けたが、さて歌歴の先輩であり、和歌を愛する典型的な家庭に育てられ、幼少の頃には朝、明治天皇御製を朗詠した後に朝食に入る、且つ平成十一年の「宮中歌会始」の御題「時」に詠進され、入選(十人)こそ果たせなかったが、佳作十五人の一人に選ばれた方の歌集の序文をどうしたものかと、約一ヶ月迷い乍らやっと筆を取り上げた。因みに三宅さんの詠進された作品は、
楽しかる集ひの時の疾く過ぎてなべては夢のごときたそがれ  である。

 三宅さんから送ってきた歌集の草稿「光を恋ひて」の詠草を読むほどに「流石!」と感嘆するばかりである。年代毎に作品をまとめているので、その時代の事を思い浮べ乍ら読んで行くと、人を愛し、自然を愛し、美を愛し、祖国日本を愛し、夫君及び子供達の祖国台湾を愛し、そして光を恋しながら調べの美しい作品が続いている。

 あえて取り上げなくても、読者諸氏がこの珠玉をちりばめたような作品を吟味鑑賞されたほうが三宅さんの作品のよさが更に身に沁みるであろう。作品の中で、特に私の心を打った一首を書き添えて序文と致す。
わが胸を打ちてしめらふ春の雨せつなきほどに桜を見たし
                                       台湾歌壇代表  蔡焜燦 』


蔡代表の序文は実に簡潔で力強い文です!目次を見ると、三宅さんの作品は年代別に紹介されていて、1977年から2012年までの35年にわたる歳月の「思い」がすべて短歌になって現されており、賛嘆と羨慕の至りです。一ページずつゆっくり読んでいくのがもどかしくて、いきなり歌集のあとがきを読んで、表紙の「光を恋ひて」の題字が、「不二歌道会」の福永眞由美先生の揮毫であり、一株の蘭の絵は、台湾で尊敬を集めておられる「奇美実業」の創設者である許文龍先生が描かれたことを知りました!許文龍先生までこうしてお力添えなさっておられるとは「さすが台湾歌壇の黄教子先輩!」と感じ入りました。本当に晴れがましく嬉しい限りです。

4月22日台湾歌壇の月例歌会のときに、4月の詠草を渡す時に三宅さんの「光を恋ひて」の歌集を会員の皆様にお配りしました。みなさんは三宅さんが歌集を出版されたと知って、賛嘆と喜びの笑顔になられました。
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主役が現れると、先輩達は次々と彼女にお祝いの言葉をかけ、一緒に写真をとりました。
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食事の時間を利用して、蔡焜燦代表が三宅さんが歌集を上梓されたことを話されました。
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4月の詠草でとても感動した歌があります。それは、
○ 台湾と日本の「光」ひた求め台湾に生くるわが妹よ
三宅さんの二番目のお兄さん三宅章文さんの歌で、台湾歌壇の会員でもあります。この方の歌には、日本と台湾を愛する短歌が多いのですが、この歌にはお兄さんが妹を思う心と兄としての喜びが伝わってきます。

三宅さんの今月の詠草は、
○ 一冊の歌集残ればそれでよし後は余生ぞ無為に生きたし
この歌は三人の人が選びました。その中で劉心心先輩は、歌評の時に「これは三宅さんの作品だと思うのですが、ご出版おめでとうございます。でもこんな素晴らしい歌集が一冊だけでいいなんてもったいないです。この後も引き続き第二冊目、第三冊目と発行してくださいよ」とおっしゃって皆さんから拍手を浴びましたが、実に皆さんの心の声だと思いました。

皆さんの期待に対して、三宅さんの考えを聞いてみました。
『 第一歌集を出すのに三十数年かかりました。5、6年前から纏めようと整理し始めたのですが、何かと忙しくて途中でストップしたりして遅れてしまいました。最近しきりに気になり始めて、台湾で生活するようになってからの歌を纏める事で今までの自分を省みたかったことと、日本語世代の先輩方に読んで頂きたいという気持も強くありました。

 初めのうちは異郷で心細く、ホームシックになったり、不安な思いで過ごしたりして、私は一人の弱い人間ですから波のまにまに浮き沈みしながら過ごしてきました。でもその時時に短歌があったことで、どれだけ励まされてきたかわかりません。それがなかったら、寂しさや不安におぼれてしまったかもしれませんが、短歌が心の支えになってくれました。

 子供達の幼かった頃の歌もあり、やはりその時にしか詠めないものがあるわけで、短歌が残ったことで、その当時の心境が鮮明に蘇ってきます。写真や日記とはまた異なる感慨があり、短歌を続けて来てよかったなと思うのです。難しいことをよむ必要はなく、その時時に心の底から感じた事や感動した事、喜怒哀楽を素直に表現していけばいいのだと思います。

 私は平凡な人間ですから、一冊の歌集が残ればそれでいいと思っています。しかも序文を蔡焜燦代表にいただき、表紙の絵を許文龍先生にいただき、題字は私が少女の頃から姉のようにお慕いしている福永眞由美様にいただいたのですから、私にとっては一生涯で一番大切な宝物になりました。これ以上の幸せはありません。これからを「無為」に過ごしたいというのは、これからはできるだけ自然な心で生活したい、自然に添った生き方をしたいと思うのです。その中で短歌が生まれればそれが一番嬉しいです。』


彼女の話を聞いて、私は短歌の力というものを更に深めたような気がしました。また、三宅さんの歌集のあとがきに書かれている文章を読んで、私は目頭が熱くなりました。
『 祖国を離れて「あなたは日本人ですか?」と問われて、「はい、私は日本人です」と答えているうちに、自分に「日本人です」と言える何があるというだろうかと、それはそれは心細い思いにとらわれてしまいました。(中略) 台湾の日本語世代の方々と一つの時代を共にすることができ、どれだけ多くのことを教えていただいているかを思うと、感謝でいっぱいです。台湾歌壇の皆様と共に短歌を研鑽し合うことのできる環境に生かしていただいていることを神様に感謝しつつ、台湾に日本の伝統的な短歌がこれからも生き続けられるように心より願っております。』

台湾歌壇の日本語世代の方々にとって、三宅さんは何物にも替え難い人です。歌壇の事務上での様々な出来事をその肩に担っておられ、また先輩達が彼女を頼り大切になさる様子を見て、私は常々、三宅さんはきっと神様が台湾の苦難の時代を嘗め尽くしてきた日本語世代の方々に使わされた人だと思うのです。後輩の私はこのような大和撫子の女性が台湾へ来られて、先輩方の心を和めてくださる事を非常に感謝しています。でも、彼女が台湾へ来られてから、親を思い、祖国を思う短歌を読んでゆくと、何だか心が疼いてくるようで・・・

     愚痴ひとつ言ふにはあらねど母の瞳に湛へをりたり深き寂しさ

     別れとは知らではしやぐ幼な子は祖父母に向かひてバイバイと手を振る

     永遠の別れにあらず海を隔て遠く住むといふのみのこと

     われの身のことは思はず今はただ老いたる父母の嘆きぞ悲しき

     笑顔をば忘れず夫に尽くせよと歌を寄せたりたらちぬの母

     病みたまふ母を案じて今宵眠れず夜空に澄める星を見つむる

     翼あらば飛びてゆきたしこの夜を母の枕辺に添ひてをりたし

     母の漬けし梅干し食めばほろほろと涙こみあげふるさと思ほゆ

     父母はさびしくあらむと語るごと文書き続く日々のことども

     ふるさとの国にやさしき兄等ゐて父母守ることのうれしき

     よしやわが子らは異国に育つとも故郷の国語らざらめや

     親族の訃を聞きたる日ひつそりと異郷の神に線香を上ぐ

     日本家屋改造したる茶坊にて異郷に祖国の詩歌を語る



「光を恋ひて」は年代順に35に分かれており、今第7まで読んだところです。三宅さんは「私の歌は日常生活の中で感じたものがほとんどです」とおっしゃいましたが、確かに三宅さんが台湾の社会を描かれる短歌は、私も早期に一緒に経験した事柄を髣髴とさせてくれます。また彼女はこの歌集を出された後の人生を無理せずに自然に過ごしたいそうですが、その洒脱な心境を羨ましく思うと同時にやや寂しいとも思うのです・・・

このように貴重な優れた歌集の作品を、機会がありましたらこのブログで是非ご紹介したいと思います。とにかくこの度の歌集ご発行、本当におめでとうございます!

三宅さんが「台湾国際放送」で番組製作しておられた「フォルモサ便り」の一部は台湾国際放送で今も聞くことができます。
「台湾国際放送」 http://japanese.rti.org.tw
「フォルモサ便り」 http://japanese.rti.org.tw/Japanese/formosa/index2007.htm



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