新高山百合
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日本時代を生きた台湾人リーダー親子の物語
2010-08-10 Tue 13:13

台湾歌壇には小児科医学博士でもある林彦卿先輩(84)がいらっしゃいます。
初対面のとき、退職して何年目かと聞いたら、「退職していないよ。患者さんが来ないだけ」と言われて大笑いしたことがありました。

父親から受け継いだ「大橋小児科」では本業以外に、よく回想文を書き、それをまとめて『非情山地』という一書も出版しています。お会いするときはいつも日本語で書いた文章や収集した資料の束を私に渡します。蝴蝶の研究者でもあり、收集した蝶標の豊富さに驚かされたこともあります。よく日本人に贈り、それが小学校に教材として寄付されているそうです。

二週間前、私にくれたこの文章は、去年友人の楊冠傑氏からの彼への返事の手紙です。林先輩からには面白く、台湾の歴史研究には参考になることがたくさん書かれているので、もしよければ公開してと言われました。

この楊冠傑氏は今ニューヨークですが、手紙に書かれている父親は、台湾の日本統治時代、そして国民党時代での代表的な台湾人の政治家である楊金虎氏だったのです!

楊金虎氏(1898年-1990年)は日本医科大学を卒業後、台湾に戻って医者になりましたが、後に台湾人の自治を求める林献堂、蒋渭水らの台湾民衆党に加わり、高雄支部の常務委員になりました。1935年に高雄州の庄(村)の評議員選挙で二番目の得票数で当選し、1939年にも再任されました。228事件では二度も逮捕されています。国民党の独裁的なやり方に我慢できず、外省人の雷震、傅正たちと「中国民主党」も結成しました。高雄市長選挙には三回立候補し、1968年の70歳の高齡でついに高雄市初の非国民党籍市長になりました。在野で果敢に当局に挑戦し、民衆の支持を獲得したのでした。市長退任後は汚職の罪で5年の有期徒刑を言い渡されましたが、上訴中に病気で保釈され、そのまま90年に亡くなりました。

以下は楊冠傑氏からの手紙です。父親と祖父は豪傑台湾人だったようです。


Dear 林先生

お手紙頂きました。有難うございます。
還暦、古希、喜壽、又は傘壽とはどの年齢だったか、わからなかったが、よい長壽を迎えられた事、お祝い申し上げます。やはり心を正しく持ち、台湾の事を愛心、関心をよせ、よき文、記録文をお作りされている先生には、長生きして、故郷の事を色々見られ、後生にその事実を伝え残して呉れる事は、大変台湾の為になると私は信じます。

台湾の独立が今難関にさしかかっている事、此所でも非常に皆心配しております。NHKが日本殖民地の時、台湾統治の悪い面許りを紹介した事、若い年層の者には、長年国民党教育で反日的傾向の者もあり、それに拍車を掛けるかも知れません。

日本時代のよき事は教育と言われました。又、日本の先生には非常に優秀な方があると聞きました。我々の所に下水道ができたのに、当時の東京では下水道を未だなかったんですか、驚きました。只、台北から台中の間に縱貫道路がそれも一本だけしかない。その点吃驚。

然し、高雄市には当時16万の人口であったのが、家の父が市会議員第一届選挙で高票当選した後、時の日本人高雄市市尹(市長)は、家父の時の市会議員の意見をよく採用して、後年100万人口の大都市計画の設計図を殆ど採決し、市内には四線道路、両側の歩行路、自転車路、街樹の殖栽を実施しました。又、高雄市の小港の芋島を購買徴收して、今の小港国際飛行場を開拓新設しました。又、旗後半島を中断開通し、そこに大型船の出入を可能とした。二つ目の港口を開く計画もしました。それで今立派に開通しております。その点日本人は我々の意見が良ければ躊躇なく採納したと、当時父はその時の日本統治者、市尹等の態度を大変いいと褒めておりました。

その頃華僑で、福州人という一群の人が台湾に居り、「三刀」(剃頭刀、菜刀、裁縫刀)等の稼業をしている者多き時代でした。その福州人、或は華僑が、日本の警察等に捕まえられたりすると、家父の所に保釈等の保証人になって呉れと頼みに来ると、家父は日本人当局の所へ行って話し合い、保釈等を許可して貰っていました。父は時々そうしたと言っていました。それで或る時、日本人の役人が父は華僑に過度に加担して思想がおかしいと警察に訴え、お蔭で家父は日本警察局内に拘留されました。然し、すぐ日本の上の官夷(?市尹)がこれは誤まりだと、三日間で釈放されました。父はよくこの時の事を私に話しました。

そして、その後或る日、父の知人友が急ぎ私の家に来て父に言いました。その時父を告訴して捕まえさせた日本人の役人が憲兵に捕まえられたそうです。それは不實の罪を誹謗して父を三日間刑務所に拘留させた、その役人は誹謗の咎に依り、憲兵に捕まったのです。憲兵は更に台湾人社会に公告し、その役人を公けの場所で懲戒の罰を與えるから、皆見に来る様言ったそうです。それはその友は父に言いました。今市会堂の前の廣場の国旗啓揚台の上に、その役人は膝まづけにされ、憲兵が竹刀で叩いていたそうです。その友は家父に行って見ないかと言ったが、家父はそれはそれでよい、だが見には行きませんでした。

光復後、家父はよくこの話しをし、あの頃日本人の中では、若し、台湾人に無實の罪を着せたら、それが日本人であっても、ちゃんと公けの前で處罰して、台湾人に謝罪していたとよく語っていました。日本人の中にも本当に正しい、良い者もいたと、父は懐かしがっておりました。

台湾の事を語ると私もこの様な時代もあった、又、家父の様に殖民地統治者日本人の中に本当に良き人も居たと、昔を懐かしく思う人があった事は間違いありません。只此は、全ての人が同じとは言えないかも知れない。

私の家は、台南県(昔の台南州)にあり、台南市から東に約車で20~30分(バス?)の所にある田舎で、歸仁庄という、又は八甲とも言い(?)、その東に関廟があります。私の祖父は田農で自耕農でした。祖父には三男二女があり、父は三男でした。

日本統治の初期、ある日、日本軍の部隊が台南方面から、恐らく「匪賊討伐」に進軍して来ました。歸仁庄八甲のの村の人々は、皆恐惶に陷り、若し日本軍が侵入して来たら、男は皆匪賊として殺され、女は強姦されるという噂で、皆、村の中央にある大きな池に投身自殺する為、甚所に集って来ました。

その時私の祖父は皆に言い、止めました。祖父はまだ日本人が我々を攻撃討伐、或は殺戮するとは定っていない、早まってはならない、私が先に日本軍の所へ行ってよく事情を聞いて来るから、それまで待って呉れと言いました。それで村の人皆同意し、私の祖父を遣って話をしてみる事に決めました。そこで祖父は長男(私の大伯、私の父まだ生まれたかどうか私はわからない)一人を連れて行きました。

日本軍部隊は既にその村外に部陣していました。祖父は手を挙げて、話かけながら、その部隊の前面向って歩き出しました、その時日本軍の部隊長らしき者が、皆の発砲を止め、歩いて近づいた祖父の話しを聞きました。然し、言葉が通じないので、筆で、漢文で見せ合いました。祖父は「此村無壊人、請勿討伐」とか何とか(私は詳しい事はわからない)書いたそうです。此れは後で私が幼い頃私のお婆さんから聞いたと思います。

日本人の隊長は、祖父が勇敢にも、銃砲の前を歩いて来て、停戦を請った事に感心したそうです。その後、祖父の案内で共に村内に入って来て、そこで村の人達も危険が去ったとわかって皆解散帰宅しました。その後祖父は日本人警官から信用され、「保甲」か何かの役を與えられたかも知れない、まあ、兎に角あの時は、あの場では誰も犠牲者は出なかった、と私のお婆さんが語って呉れました。

私の父は恐らくあの頃の前後に生れ、幼少の時、日本語学校(公学校?)を卒業し、台湾医学校(医学、医大の前身)に入り、恐らく杜聡明先生の何期か下でしよう。卒業しました。卒業した後私の母と結婚、故郷歸仁庄に帰りましたが、二伯(祖父の二男)が漢方医(農業以外)を兼任していましたので、始めは八甲、後で砂路墘(台南市の一つ南の驛)で西医を開業しました。

私の祖父は農業の旁ら、漢医や耕作の後、夕方は村の人の患者の脈をみ、處方(漢葯)を書き與えました。日中暑熱に作農中、急診があると、私のお婆さんが大声で祖父を呼び診療させたそうです。祖父が短気で農作最中に呼ばれると怒りましたが、祖母が「不要生氣了,給他看了(怒らないで診てあげて)」と言うと、「你怎麼不給他看(なぜお前が診ないんだ)」と言うそうです。だが結局祖母の要求通り、處方を書きました。因みに、これは皆無料でした。祖母が私によくそう語って呉れました。

祖父は私の二姑(父より9才若い)を祖母が産んだ後何年かして亡くなりました。私は祖父を見た事がありません。然し、当時台湾の農民の暮しは大変窮困していて、農事は忙殺するが収入は惨めだったとよく父が言いました。台湾の昔の話しです。

では、又何時か何を語りましょう。台湾の未来に神の光の来る事を祈りつく。

                                         楊冠傑 敬上




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日本では民主党の暴走は食い止められたようで
2010-07-12 Mon 20:37

参院選の結果を見ましたが、民主党の暴走が食い止められて良かったですね。
去年の選挙の失敗で、日本の憂国の友人たちが悔しがっていましたが、それは2008年の台湾総統選挙の繰り返しでした。

日本の政治関係のブログを通じ、私のような外国人も反日政党が存在し、今まで何をやってきたかを理解しました。法務大臣のあの方も落選したそうですね。私の友人は狂喜していました。私もその方のことはいろいろ聞かされていますが・・。家族解体法案とか外国人参政権法案とか、不法滞在の外国人も受け入れると言っていましたが、本当に法務大臣だったのでしょうか。

日本のマスコミは民主党の敗因は消費税問題だと言っています。しかしネットで話題の外国人参政権、1000万人移民など売国法案にはあまり触れていないですね。ネットの選挙への影響も大きいと思いますが。

これからも日本の覚醒のため、ネットの草莽を応援したいと思います!




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我が国も日本も危機だから両国共栄のため頑張ります!
2010-05-25 Tue 16:01

日本のみなさん、こんにちは。

このブログを始めましたところ、さっそくたくさんの方々からコメントをいただき、
とても驚き、感動しています。

今回はお一人お一人に返事を書きませんが、お許しください。

このブログは昔からやりたいと思っていたことでした。しかし日本語は勉強してきましたが少し不安でした。でも日本人の友人たちが言葉の指導をすると言ってくれて、激励されたので、これからも頑張って取材して、やってみようと決意しました。

日本は子供時代から大好きな国であり、また私の台湾人意識が覚醒できたのも留学期間の日本ででした。ほかにも日本からいただいた大切なものはたくさんありました。だから私にとって日本は祖国台湾と同じほど、掛け替えのない存在です。このブログが両国のささやかな心の架け橋になれたらと願っています。

それから、台湾と日本は今、同じような状況に遭遇しています。国家が危機に直面し、売国政党、メディアが好き勝手に動き回っている所は本当にそっくりです。

このブログがお届けする台湾の老世代の日本への思いが、
日本のみなさんに勇気を与えることも願っています!

台湾と日本が永遠に平和で、兄弟のようでありますように!

これからもよろしくお願いします。

日台共栄!





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台湾魂と日本精神ブログへようこそ!
2010-05-22 Sat 18:43

私は戦後生まれの台湾人ですが、
色々なご縁で「日本語世代」と触れ合う機会が多くあります。
みな年齢上は私のお爺ちゃん、お婆ちゃんといえますが、
国のことに関すると、独立建国という同じ夢と目標を持つ同志なのです。

多くの「日本語世代」は戦後、228事件において、または白色テロに対し、
「台湾魂」、そして「日本精神」で国民党に対抗し、そして処刑されました・・

しかし民主化時代が訪れ、生き残った人々は自由に日本時代のこと、
戦後の国民党時代のこと、そして自分自身の生涯を語れるようになりました。

私はそれをたくさん聞いてきましたが、
いつも「これが台湾魂、日本精神なのか」と感動します。
そこでその感動を、日本の皆さんにもお伝えしたいと思います。

台湾の「日本語世代」の台湾、そして日本への思いを少しでも知っていただけたら幸いです。






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