新高山百合
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
ミカド 雑談
2010-09-20 Mon 14:49
                                         作者 Kiyoshi先輩
 
「アジヤの東、日いずるところ、ひじりの君の、現れまして・・・・・・・・・・・
・・・・・代々木の森の、代々とこしえに、仰ぎ祭らん、おおみかど」

名詩ですね。名君、明治天皇誕生日への祝い歌です。全文七五音の句に集約される、優れた韻文とその語呂の良さで、70数年経た今も諳んじています。特に結語の4句は、すばらしいエンディングです。

そして、この詩は、静かな喜びの楽想にピッタリのメロディーに載って、明治節の歌となり、11月3日講堂で子供たちに歌われ、おおみかどに捧げられる。古き良き日の小学校の行事であった。この行事は今も続いているだろうか。歌の方は国語と音楽の良いお手本です。

  

この良い詩、良い歌を習ったのは、八つの時、昭和11年の明治節が近づく日、子供たちは新しい言葉、日本語を習って半年しか経っていない。そして、幸運にも僕たちは日本人だった。

毎日増える日本語で習う素敵な童謡、国語、算数、修身、etc、楽しい幸せな小学生だった。他人はいざしらず、日本文化、日本的薫陶は私の体質に完全にフィットした。さて今日は明治節の歌を、習う日だった。

先生は先ず地図で僕等に「シナ」を見せた。それは、満腹して動けなくなったブタの、ブクブクのおなかみたいな形の国だ。先生はシナばかり指差して「アジヤ」を教える。何故シナがアジヤなの?

次は東。「東はどっちか?」、聞かれて皆は毎朝の、日の出の方向、それは丁度黒板の方、を指した。「いや、地図の上の東じゃ、いいか、右が東だ」。「アラ、本当、日本はシナの東だ」。そして日本の東は大きな海、日は海から昇る、だから日本は日いずる国、シナは日が沈む国。あの時は、どの国も日出ずる国というわけを知らなかった。「我は日いづる国」、と信じたからには、その矜持は何時までも持ってもらいたいものですね。

次、「ひじりの君の現れまして・・・」。先生は「ひじり」をどう説明したか、僕は分ったのか、もう覚えてはいない。ただ、なんで、天皇様が「君」なの?「現れまして、はお生まれになった事だ」。僕は神出鬼没の鞍馬天狗の事をを考えていた。後日習った事だが、「天皇様がお亡くなりになったら、おかくれと言うのだ」、現れたり、隠れたり、鞍馬の天狗様の、かくれんぼみたいで、天皇様はオモシロイね。

日本語習いたての一年坊主には、明治節歌文句の方はもやもやだったが、幸い語呂がいいので、覚えやすかったようだ、歌の方は、歌い易い、覚え易い、歌いたい、の名曲三要素のおかげですぐ覚え、当日は講堂で力いっぱい歌い、一代スーパーミカドの「現れまして」をお祝い申し上げた。

歴代天皇の中で明治天皇はよく、国民の敬愛を集めて、天皇の尊称である「ミカド」や「帝」で称呼された。例えば「明治大帝」。幕末の多くの日本人と同じくみかども外国人嫌いであったが、目はよく遠くを見ており、「よきをとり、あしきをすてて、・・・・」の有名な御製を国民に教え、挙国一致「追え、追いつけ、追い越せ!」のキャッチフレーズにのって文明開化を推し進め近代日本の礎を築き、日本の夜明けが訪れる。

みかどの崩御後。日本一のみかどには、日本一のやしろ、をと、国民は挙って明治神宮の建造にと、ボランティアの手で、17万株の樹が、代々木の原に植えられて、世界一の人工の森「代々木の森」が生まれる。一つの植物と鳥類の生態が築かれた。神宮の顔である大鳥居には、我ら台湾のひのきが貢献した。

1977夏8月の或る朝、私はこの代々木の森に、来ていた。ミカドのか、或は鬱蒼の森のか、とにかく神域の霊気が辺りに漂い、ひんやりと襟を正す。翼を傷めたカラスが一羽、飛べないで鳥居の前で鳴きながら右往左往していた。政府の高官を乗せてきた運転手さんと一緒にしばしカラスを見守っていながら、何故台湾にはカラスが住み着かないのだろうかを考えていた。それは有り難い事だが、そのわけには興味があった。

やおら立ち上がり、じゃりの参道を闊歩し、手洗いをし、大鈴を鳴らし、エンディングは嬉しい大団円、赤い袴白い上着、美人の巫女さんの白い手から、明治大帝のお守りを頂いて、鬼の首でも取ったかの様に、喜んで凱旋した。

同日の晩、奇しくも私はミカドに来ていた。でも代々木のミカドではなくて、東京赤坂のキャバレー「ミカド」である。代々木の神のお導きか?東京在住の中学同窓の、私が社交ダンスの教師と知っての好意である。

広い玄関の隅の広告塔のてっぺんに、ミカド(皇室)の象徴である菊の紋章が輝いていた。さすが民主時代だなと感慨あらた。「天皇とキャバレー」!戦前なら不敬罪で豚箱行きだ。

二階からダンスホールを眺める。さすがは、東京一のダンスホール、台湾のそれでは見られないものを見た。
①初心者はフロアの中央部に集まって踊り子達と練習、中上級者達は、フロアの四周で、正確なLOD方向線に沿って、ステップを繋ぎ踊っていた。全体のダンシングの流れがハッキリ見えた。
②踊り手たちは、皆ちゃんと世界に通用する、正確なボールルームダンスを習得しておった。得体の知れないステップは見受けない。
③バンドの演奏も選曲も申し分なく一流であった。どの曲もダンス意欲を誘う。

ひるがえって、台湾ではどうだ?。この国ではダンスの先生は免許は要らない。誰でも先生だ。勝手な自己流ダンスを教える、もちろん世界には通用しない。生徒さんが災難だ。それでも、看板には「国際標準舞」と銘打っている。ボールルームダンシングのことである。「先生、このステップの名は?」、「?!」英語不通では何もいえない。英語出来なければ、ダンスは教えられないのだ。それでも台湾のダンス先生は、我こそは、お山の大将オレ一人。もうダンスの戦国時代である。又この国の先生は、ブルースを知らない。不思議だ。又「LOD」も知らない、それ何? なら「方向線」でいこう、やはりワカラン。もう話しにならん。語るに落ちる。ヤメタ。

私は不運にも、お盆の日にミカドに来た様だ。レギュラーのダンサーたちの多くが帰省し、残れる踊り子も外の客にとられ、連れて来られたのは、短大在学生のひよっこ一羽、これはさしずめ、お座り嬢か、お話嬢かな。もちろんダンスはだめ。フロアは軽快なルンバリズム、私はムズムズして来た。ブルースを一曲リードして見よう。

「長崎は今日も雨だった」が流れた。困った様な顔の彼女の手を取って、フロアへ下りる。ダンスとは歩く事、何時ものように歩けばいい。が彼女は案の定、足ばかり見て、神経は脚に集まり、歩くという簡単な動作を間違える。バンドの演奏がいいし、カラオケ好きだから、私は声を出し「東京は、今日も雨だった」と唄い変えて彼女の頭をあげさせた。私の歌声に気を取られ、硬い体がほぐれ、正常に歩き出した。

     

短大嬢はお行儀よくお辞儀をし、お行儀よく礼をいい、僕もすっかり気を良くした。改めて僕は日本にいるんだなと気付いた。

次のダンスを請うかのように、思いがけない曲が流れた。ニュウージーランドマオリ族の別れの歌「Now is the hour.」。これは私のワルツの常用レッスン曲だ。オペラファンなら誰も知る、マオリ族出身の、世界の歌姫、カナワの嘗て此れを歌うを聴いてすっかり参ってしまった。

     

僕は再び短大嬢に、もう一曲を請い、表情の変われる彼女を、ただ一つのステップ「リヴァースターン」で彼女に全曲をマスターさせた。

今一度、彼の人とヴェニーズワルツでフロアを疾走したい。そこは嘗て私の世界だった。
今一度、ラケットをもって、テニスコートに立ちたい。あの喧騒、叫喚、歓笑は
      嘗て私のものだった。
今一度、教鞭取って教壇に立ち、生徒たちを煙に巻きたい。あの子もこの子も
      嘗て私の友だった。


        「人間を  八十二年  夢の跡」   Kiyoshi 2010




もしよければ、このブログの応援クリックをお願いいたします。
人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
別窓 | Kiyoshi先輩の思い | コメント:4 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
| 台湾魂と日本精神 | NEXT
copyright © 2006 台湾魂と日本精神 all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
台湾留学サポート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。