新高山百合
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蔡焜燦先生が語る台湾人の「日本への思い」と「朝鮮人との文化の違い」
2010-07-24 Sat 20:03

先日このブログに、「gtea さん」から蔡焜燦先生宛の次のような質問がありました。

「日本が去ってから、とんでもない支那人が来た事によって日本の良さを痛感し、その時代を懐かしく思う、というのは、何となく理解できるのですが、徹底的に再教育され、日本語自体も弾圧の対象となったのに、未だに日本と皇室を心配して頂けるような人々が多いというのはどうしてでしょうか?」

「同じ日本の統治を受けた朝鮮と比べるとその差は雲泥どころでは無いように思います。一体何が原因で、台湾と朝鮮では日本に対する意識がここまで違ってしまったんでしょうか?」

これに対して蔡焜燦先生から7月14日、次のような回答が寄せられましたので、掲載します。


蔡焜燦でございます。今日新高山百合さんから「good tea」さんのお名前を聞きました。「g、tea」さんと読むのか、「g、t、e、a」さんと読むのか。

私は勝手に、これは美味しいお茶のことじゃないかなと思ってますが、台湾のお茶も静岡のお茶も世界的に有名ですから、まあ、いつかチャンスがあったら、お名前の意味を教えてください。

私の『台湾人と日本精神』を今読んでいただき、ありがとうございます。

その前に、できたら、司馬遼太郎先生が書いた『街道をゆく』第40巻の『台湾紀行』をお読みになると、今まで知られていなかった台湾のことがたくさん書かれています。

それは日本の方だけじゃなくて、戦後、反日教育を受けた台湾の人々も啓蒙しております。

その後、自称「司馬先生の押しかけ門下生」である私が、台湾に言論の自由というものが出来てから、いろいろこの50年来、思っていることを『台湾人と日本精神』に書かせてもらいました。この出版パーティの時に私ははっきり東京で参加された400人の方に申し上げましたが、今までの、所謂、日本語世代の私たちの、思いのたけを、初めて書かせてもらいました。

IMG_7686 (2) gteaさんの質問を見ながら回答する蔡先生

ご文章の中に「日本は去ってから、とんでもない支那人が来た事によって日本の良さを痛感し、その時代を懐かしく思う、ということは、何となく理解できる」と書かれておりますけれど、例えば、台湾へは戦後マッカーサーの連合国総司令部の命令で、蒋介石軍が進駐して来たんです。

決して、台湾が支那のものになったということじゃなくて、1945年9月2日東京湾でミズーリ号の上から、マッカーサー将軍が日本の代表の重光葵大使と梅津美治郎との間で、降伏文書の調印のあと、支那戦区総司令の蒋介石に台湾に進駐せよと命じただけです。アメリカが日本を占領したようにです。

その時に蒋介石軍が台湾に進駐軍として来たんですけれど、1945年の10月25日に台湾軍司令官の安藤利吉から降伏文書を受降した時に、受降人の陳儀が発表「今日からは台湾人は全て中華民国人である」ということを宣言してますが、これはとんでもないことです。

が、当時台湾人としては、一部、祖国中国に帰ることができたということで喜んでおりました。

まあ、その時の中国の進駐軍の台湾におけるあらゆる方面のことは、台湾人を失望させました。

当たり前のことが、その当時の軍政長官が授降の後で、こんなことを言いました。「今日から台湾は中華民国の領土である」。しかしこの言葉は明らかに、所謂当時の連合軍総司令官の命令に悖る、と違うものです。マッカーサーは、日本は台湾を中国に返せとも言っていません。

その前にカイロ宣言という宣言がルーズベルト、チャーチル、蒋介石三人の会議後に出されています。そこには日本が中華民国より窃取した台湾及びその附属の諸島は中華民国にかえさるべしという文がありました。

ただこの「カイロ宣言」とは幻の宣言で、ルーズベルトも、チャーチルも、蒋介石もサインしていなかった。国際法的に無効である。

もちろん、日本は中華民国から台湾の窃取していません、日清戦争の時にはまだ中華民国というものがなかった。日本は日本の国益のために、清という国と戦った、そして勝ちました。清は台湾を日本に永久割譲した。清は元々台湾を「化外の地」と言って、殆ど台湾を建設しなくて、そのままほったらかしにしとったんですね。

伝染病が流行るということで「瘴癘の地」と呼んで。

当時の清朝の李鴻章は日本に、こんなことも言っています。「台湾の男はことごとく賊。女性はことごとく娼女である」と。こういうようなことまで言って、日本に島を割譲しました。   

明治28年から台湾は日本の領土になったのです。そのころ、日本のものになるのは嫌だと言って、抵抗した人もおりました。当時、台湾におった清のトップの人である唐景は台湾民主国というアジアが初めての共和国を作りましたが、3日間で旗を巻いて逃げたんですね。

残った清の兵隊が台北、台南とかで掠殺をやっとりましたよね。それを日本軍の北白川宮能久親王が近衛軍を率いて、その年の28年の5月に台湾に上陸して、10月28日に台南で薨去されましたが、その後、日本は台湾を自国の領土として経営し、台湾人を自国民として日本教育を施した。

初代総督の樺山資紀は先ず台湾人に国籍を選ばせたんですよね。これは以前も言ったことがあります。そして2年後には台湾人はみな日本人になったと。

そういうことで、台湾人は台湾の日本人として50年やって来ました。

そして、日本の教育ですが、当時50年間の日本の統治だけで、昭和20年の台湾の人達の就学率は92%にも及びました。これは前回も言ったことがありますけど、オランダはインドネシアを40年くらい占領して殖民地として扱い、昭和20年の時点では就学率は3%もありませんでした。

この比較を見ただけでも、日本はいかにまともな国として、まともなに自国の領土の人達を扱っていたか分かると思います。

それから、gteaさんのもう一つの質問にね、「同じ日本の統治を受けた朝鮮と比べるとその差は雲泥どころでは無いように思います。一体何が原因で、台湾と朝鮮では日本に対する意識がここまで違ってしまったんでしょうか?」とあります。

歴史を辿りますと、日本は明治28年の下関条約で台湾を領土にしたわけですよね。そしてやはりその条約で、日本は朝鮮を清朝から独立させているのです。朝鮮半島を独立させるということは、当時の日本の国益に繋がりました。

まあ、それは別として、朝鮮半島は昔から東は日本、西は支那、二つの国の挾間の中に挟まれている。いろいろあったですよね。例えば神功皇后が朝鮮を征伐に行ったり、豊臣秀吉も朝鮮を征伐に行ったり。西の方からは隋、唐、漢がやっぱり朝鮮半島を攻めたりする。

朝鮮は檀君開国から4000年といいますが、あの長い歴史のなかで朝鮮半島では、例えば新羅、百済、高麗だとか、いろいろな国が出現して、ずいぶん争っていた。その一方で北のモンゴル、満州の金だとか、達靼、そいうところの脅威があった。李王朝では明とか清などに太子クラスの王族を人質として派遣しなければいけない。そいう状態から朝鮮民族の大変典型的な民族性ができたと私は思います。

このように外から圧迫を受け、それによって半島民族の「恨」という文化が生まれた。
「恨」というのは恨みですよね。今でも日本の総理大臣が靖国に行くと、こういうことを取り上げてやる。

台湾は島国である。海洋民族国家のいい点を持っている。外部から苛められても、すぐ忘れちゃう。人を許す、あっけらかんとした海洋国家の国民性を持っている。これは日本とも同じでしょう。

日本の民族も海洋民族で、例えば、400年前に徳川家に滅ぼされた人達は今でも徳川を恨んでいますか?恨みませんよ。日本にはそういうものはない。

台湾でも、「あの国は何百年前に我々に対してこういうことをやったから、恨みを絶対忘れない」ということはないのです。それは台湾人にはない。

もう一つ言うと台湾人はね、これも前に一度言ったことがありますが、「有唐山公、無唐山媽」と言って、唐の国のおじいちゃんがあっても唐の国のおばあちゃんがいないのです。

台湾人の先祖は福建から、台湾に移住にして来て、ここの原住民の女性と結婚している。通婚しているんです。

ここの原住民は歴史的に研究しても、マレーポリネシア系です。だから、例えば戦争中には有名な高砂義勇隊がフィリピンに行って戦っているけど、彼らの言葉は現地の人に通じるようなことがあるんです。

日本の皇室に関心を持つのも台湾人の民族性でございます。3年前の9月6日、悠仁親王殿下がご誕生の時、台湾の我々日本語世代の人は全部手を叩いて、大変喜びました。

これは台湾人の日本皇室に対する自然な一つ流れ、心得でございます。当時、明治天皇様は台湾に関する御製をね、たくさん作って、台湾にご関心をお持ちになりました。 昭和天皇様は皇太子の時、台湾にも行啓されています。台湾人が日本の皇室に対して、一つの親近感を持っています。これは言葉では表現説明できません、これだけ言えます。

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gtea さんが『台湾人と日本精神』へのご感想はこちらでご覧いただけます。
『日々洗心』 ブログ
http://gtea.iza.ne.jp/blog/entry/1711569/




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この記事のコメント
#142
新高山百合さん、今晩は。いつも、更新ご苦労さまです。
わざわざエントリーを立てて頂いて恐縮です。そして、蔡さんの丁寧なご回答ありがとうございました。身に余る光栄です。
私のHNは、蔡さんお察しのとおりで、Good green teaから来ておりまして、実は生まれも育ちも、静岡の茶所です。東京に住んでいる時も、郊外の田園地帯に行く事があった時に、何かが足りない。と思っていたんですが、私にとっての田舎の風景にはお茶畑は欠かせない物で、それが無い田園風景というのは、私にとっては、ちょっと間の抜けた風景と感じてしまう程なんです。で、私のこの体を作ってくれたのは、お米とお茶。という事でこのHNを名乗っています。
私の質問に対する答えはしっかり、本の中に有りましたね。やはり、海洋民族を祖先に持つ民族の血ではないか?と。悠仁親王殿下ご生誕の日の出来事は私もエントリーをあげた事がありました。http://gtea.iza.ne.jp/blog/entry/1212380/
何だかんだ言っても日本人は皇室を敬っています。この感覚を解ってくれるのも、東アジアでは、台湾の方々だけだと思います。そんな所からも、台湾は大事な日本の朋友だと思います。
つまらぬ質問にわざわざ答えて頂きました、蔡さんに宜しくお伝え下さい。今日本は猛暑です。台湾もきっと暑い夏をお迎えの事と思います。お体をご自愛され、益々のご活躍を祈念しております。
もしかすると、9月に貴国に始めて行けるかもしれません。それについては、また決まりましたら、お伝えします。
2010-07-25 Sun 01:01 | URL | gtea #-[ 内容変更]
#145 gteaさん、こんにちは。
早速のお返事ありがとうございます。
いただいたお返事は昨日歌会で蔡先生に渡しました。
正解を中てることができた蔡先生は「私はすごいでしょう」と、得意げに笑っていました。
時々蔡先生は占い師よりすごいと思うことがあります。
蔡先生は貴方に何か話をしたい感じでしたので、しばらくお待ちください。

3年前に悠仁親王がお誕生になった日に私はちょうど日本にいました。
午後、嬉しくて日本の友人と共に皇居前へ行き万歳を叫びました。
得難い体験だったと思います!
時間が経つのは早いもので、親王はとても大きくなられ、可愛いようですね。
日本には良いことと思います。

台湾へいらっしゃるとのことですが、もし時間があれば台湾歌壇へもお越しください。
2010-07-26 Mon 12:34 | URL | 新高山百合 #-[ 内容変更]
#150 gteaさんへ
お待たせいたしました。
蔡先生から「本を表面的でなく、深いところまで読んでくれました。私の心まで読んでくれてありがとう。台湾へいらっしゃることを歓迎します」とのことです。

次は悠仁親王殿下がご誕生されて、蔡先生が詠まれた和歌です。

皇孫の生れます佳き日に国こぞり祝ふ国人笑顔うるはし
今上が祝ひ言祝ぐ国民に礼を賜びたる御言葉かしこし
2010-07-29 Thu 22:07 | URL | 新高山百合 #-[ 内容変更]
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