新高山百合
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
南十字星ロマン / 2.星を追って
2011-01-21 Fri 13:41
                                         作者 Kiyoshi先輩

1994.11.定年退職後3ヶ月、 虚脱感の日々を数える中、友人Kから電話:「オーストラリア、ニュージーランドのツアーに行かないか?今員数が足りないのだ」。

ニュージーランドと聞いてとっさに十字星が閃き、脳裏を掠めた。 そして前後不覚にも反射的に 「いいよ」 と言ってからしまった!と思ったがもう遅い。 幸いにKは私の、腰も尻も重い事をよく知っているので本気にしない。

「おいおい、真面目に聞けよ」、「まじめだよ」と又も心にもない返事をしてしまった。「しようがないな、また電話するから考えといてくれ」とやはり本気にしていない。

私は少し慌てだした。電話中で二度もOKしてしまった。今更引っ込みがつかない。だからといって、星の為ににニュージーランドくんだりまで落ちて行くのも正気の沙汰ではない。 確実に十字星と会見出来る保証もない。雨や雲で一巻の終わりだ。

一体俺は南の果てに何しに行くのか?急いで自分でも納得出来そうな、大義名分の通りそうな理由をさがした。それは・・・・・

(1)機上から我が過ぎし日の夢、ラバウルを俯瞰する事 (2)機上からグレート バリア リーフを俯瞰する事 (3)ペンギンの出勤退勤と子育てを見る事 (4)オペラハウスのあの奇天烈な屋根の謎をを探る事 (5)そして、我がマドンナ「南十字星」に会う事。

その他の名所風景めぐりには興味はない。 そしてこのうちで上記(4)のオペラハウスだけがガイドブックにあり確かにお目見え出来そうで、その他は実現の保証はない。

こうして確たる期待も自信も無く、不本意にフラフラと家を出て、南の果てへ飛んだ。 が・・・・。思いがけぬハプニングにすっかり気を好くして帰って来た。

1.ラバウルや つわものどもが 夢の跡

1994.11月、星を追って初夏の南半球へ飛ぶ・・・・・。戦時中 「ラバウル」 と 「零戦」、この二つの言葉は同じ響きをもって、重症航空マニァの少年私を、 聞くだけでワクワクさせた。

南太平洋の数ある基地の中で、 終戦まで固守し、敵に渡さなかったのが、ラバウル基地であり、 米軍はこれをラバウル要塞と呼んだ。

基地の護りを担ったのが、 台南空(台南航空隊)から転進した、戦闘機零戦と大空のサムライ達、 零戦のベテラン パイロット達であった。 彼らの活躍を称えて二つの戦時歌謡が超ヒットした。

「銀翼連ねて南の前線・・・・・」 と 「さらばラバウルよ・・・・しばし別れの涙が滲む・・・・・椰子の葉陰に十字星」 で始まる名歌謡。 名せりふと軽快なメロディーがリズミカルにドッキングし、 誰しもが一発で覚えてしまい、 大流行した。 貴方も一度ならず何度も歌ったでしょう。ラバウルは私の少年青春の日のロマンであり、 私を南へと駆り立てた青春の歌だった。
     
     

地図で桃園空港とブリズベーン空港を結ぶ直線上にラバウルが在る事を確認した。 飛行機は必ずラバウル上空を飛ぶ事を確信し、その時を待った。

が視野に映ったのは果てしなく続く「緑の砂漠」こと熱帯雨林であった。 地図で覚えておいた島の形など何処にも無かった。 それで始めて自分のアホーに気がつき呆れはてた。 1万mそこそこの高度で台湾よりやや長い島の全貌が見れるわけがないのだ。 期待でワクワクして常識が麻痺していた。 実に脳天気のノンIQのオレだった。

だが我が身は確かにラバウル上空を飛んだのだ。それでいい。もう来る事も無いだろう。ラバウルや 永遠なれ。 1994.11.15。

2.輝くグレート バリア リーフ(大堡礁)の海

今この地球で、 生き物が造った最大の構築物は、長さ2000km、幅200km、 厚さ200m、 台湾島が六つもスッポリ入る巨大珊瑚礁で、 これがオーストラリアの北寄りの東海岸の浅い海にデンと構えている。 これが大堡礁、グレートバリアリーフである。

1800万年前、 一群の数センチの小さい虫、 珊瑚虫(身体は円筒状、底部で海底に固着し、円筒口辺の触手でプランクトンを捕食)がこの浅い海に定着し、 彼らにも、 人類にとっても重要な営みを始めた。

即ち大気中から海に溶け込んだ炭酸ガスと、 河川から海中に運ばれたカルシュームから炭酸カルシュームを合成し、これが 彼ら群体を固着させるための共同骨格となった。 即ちあの硬い石灰質の珊瑚礁である。

1800万年の時を経て、 今の巨大珊瑚礁に成長した。 グレートバリアリーフは国民に愛され保護され、 今でも年に数ミリ成長している。

珊瑚虫は大気中からCO₂を取り去りそれを珊瑚礁に変えたのだ。地球環境の大変貌に寄与したのであった。

NHK TV が 「これがグレートバリアリーフだ」 という4時間のドキュメント番組を制作した。 その中で、 ヘリからの俯瞰で、オーストラリアの東海岸の北半分を鮮やかなエメラルド色で彩った珊瑚礁の海と、 外海のコバルト色の太平洋の海とのコントラストが鮮明で印象的であった。

これぞオーストラリアの自然だ、 我が目で見たいと強い憧れを持った、 そしてこの願いは十字星のように50年を待たずに数年で実現した。 夢は持つものだ、 強い願望は夢を実現させる。待てば海路の日和だ。

機はラバウルを後にして間もなく豪州大陸を眼下に見た。すかさず左方、東海岸の方向を注視する。 真上を飛んでる訳ではないので、 海は遥かの向うだ。 それでも黄緑色のひとすじが海岸線を彩っているのが見えた。グレートバリアリーフの海である。

其の外は紺碧の太平洋大海原。 飛行機がこのグレート・・・・を飛びきるのに2時間もかかった。 今更ながら、 小さい虫の大きい仕事に驚嘆する。

ツアーのメンバーはと見ると、 6時間のフライトで疲れて無言で天井を睨んでいる。オーストラリアまで来てグレートバリアリーフを無視して見過ごすとは惜しい。 

さらば輝かしいグレートバリアリーフの海よ。永遠なれ! 2時間後オーストラリアの玄関空港、桃園空港よりも見栄えのしないブリズベーン空港に降り立った。 1994.11.15

3.NZは地質学の生き標本 / フィヨルド、氷河、U字谷

国を出て1万キロ余、 今1944.11.18、 私はニュージーランドの南の最果ての地に立っている。 殆ど地球の底辺にへばりついている。此処から南にはもう島も、陸地も、国もない。 あるのは南極大陸だけだ。

随分遠くへ来たもんだ。 突然、老人の心配性か、 帰れなかったらどうしようという起こりそうもない杞憂が脳裏を掠めて苦笑する。 そして此処で思いがけなくも、予期しなかった物を観て大感激。 ああ来てよかった。

此処は、 山間の谷へ海水が入り込んで出来た深く長い入り江で、 その周囲は平地ではなく、 相い連なる山々で、私の居る場所は、 観光のために開発された狭い平地で、ヨットや遊艇の波止場になっていた。 私は眼前に広がるパノラマを焦点もなしにただボーッと眺めていた。

頂に雪をかぶった遠くの連峰、 人を威圧する近くの山々、 そして視線が山と山の間の横に異常に幅広い谷に行き着いた時、 このパノラマを写真で見たことがある事に気がついた。 「次の瞬間私は強い驚きの叫びを呑みこんだ」。

「U字谷だ!U字谷ではないか!」と。 しかも雄大で典型的な代物だ。 これで自分が雄大なフィヨルドの中に身を置いてている事に気が付いた。

写真や説明をいくら閲読しても実態がつかめなかったフィヨルドやU字谷をまのあたりにして、目から鱗だ。誠に百読、百閲、百聞、一見に如かずだった。

惜しむらくは、観光が主要産業であるニュージーランド当局が、 こんな上等なお宝観光資源を観光客にアピールしようとしない。付近一帯を歩いたが、この地質地形の成因を案内する一本の立て札もない。観光客は沢山来ているが、何の知識も案内されずにただ漠然と「山水」を見て帰るだけである。宝の持ち腐れである。

今、眼前に見えているU字谷から上流へ視線を移せば、最後は山頂に達する。今、平地は夏だが山頂は尚も雪化粧である。山の青さに白く映えて美しい。つまり其処では万年雪が降り、夏でも融けない。降り積もる雪は、次第に厚さを増し、下層の雪を圧縮する。そして雪から氷へと変身する。硬く青白い氷は徐々に厚さを増し、厚さが数十mから数百mに達すると、自身の重みで斜面を下降し始める。氷河誕生である。

氷河は膨大なエネルギーを保存して、驚異的な破壊力、侵食力、搬送力を発揮する。それはまるで巨大な削岩機が河を下るようだ。谷床と山壁の岩盤は、削られ、剥ぎ取られ、大小様々な稜角の尖った岩石に砕かれ、それが又ヤスリの様に作用して侵食を助成する。

氷河自身は固体であり、氷床や側壁との大きな摩擦のため、其の下降速度は、恐ろしくスローモーションで、 生きているのか死んでいるのか分からない、平均1日50センチの目に見えない動きだが、着実に時を刻み、岩を砕きながら斜面をくだっている。そして数十年かけて、やっとこさ麓にたどり着く。

こうして、氷河の通った谷は、長い時間をかけて侵食され、谷幅の広いお碗の断面の様なU字谷が出来上がる。氷河の無い地方(台湾など)の山谷は河水のみによる侵食ではU字谷は出来る筈はなく、皆V字谷であり、河原に転がっている石は皆玉石(鵞卵石)である。若し貴方がここ台湾でU字谷を見つけたら大変な事になる。

そしてもう一つ予期しなかった物を見た。氷河は自分が壊し砕いた、大小様々な尖った岩石(丸い玉石は出来ない)を、数十年かけて下流へ搬送する。氷が融けて麓の河原に忽然と現れるのは、置き去りにされたぶざまな石達が演出する、殺伐荒涼たる景観だ。こんな荒石の野原を氷磧と言う。

此処へ来る時はまさか此処でU字谷を見るとは思わなかったから、バス窓外の景色には注意を払わなかったが、U字谷があるからには、付近に氷磧があることを確信した。

そしてこの予想はすぐ的中した。帰りのバスが出発すると間もなく、窓外に石の野原が見え出した。不思議なことに、草も生えない。それが益々景観に殺伐さを加えた。独り私だけがこの殺風景に感激していた。1994.11.18、今日は良い物を見た。

4.私の掌に舞い降りるスズメ、驚異のNZの大自然。

1994.11.21、私はタウポ市の公園のベンチで酪農産業国のミルク濃密な美味いアイスクリームをほほばっていた。頭上で台湾の雀に似た鳴き声がした。見るとやはり雀で、尾羽が台湾すずめより一寸長いだけだ。私のアイスクリームを見てひっきりなしに鳴く。ねだっているのだ。可愛いじゃないか。

生き物、生態、環境保護、等ひっくるめて自然保護のやかましい国だ。私はこの国の「自然」が「自然」たる所以を、その「自然指数」を雀を借りて測定しようと思った。

私は食べ残しのアイスクリームを皿ごと掌に載せ、ベンチを離れ、 木の下へ行き、しゃがんで腕を伸ばした。 すると、どうだ、 奇蹟のハプニングが私を驚かした。

待っていたかのように、一羽のスズメが舞い降りて皿に停まりクリームをつつき始めたのだ。私は涙が出るほど嬉しかった。心が通じた事に。私は彼女の敵ではなかったのだ。私は雀が愛しくて、その頭を撫でようとの衝動に駆られたが、実際は少しの身動きも出来なかった。

私はそのままの姿勢で雀を驚かさない様に、「誰かシャッターを頼む!」と叫んだ。そしてこのシーンは無事フィルムに収まった。 私はてのひらにニュージーランドの「自然」を感じた。

同じツアーの姐ちゃん一人、も私の真似をしてこのイベントに加わった。又も一羽、彼女のアイスクリームをつつきに舞い降りた。

このまま行けば、 更に多くのメンバーが加わって其処には、地球ファミリー交流の輪が生まれ、微笑ましい一幅の絵となる筈であった。 が一人のバカ男のバカ小細工でパァーになった。

私たち二人の雀との交流に誘われて、バカ男がアイスクリームを直接掌の上に流し込んだ。浅ましい下心見え見えだ。不吉な予感がし、それが的中した。

舞い降りた雀にしばらくつつかせて、男は雀を鷲摑みにしょうと急に掌をすぼめた。バカが故に、反応は雀の方が一枚上手で、魔手から逃れた。

処が逃れた雀は3羽だけではなかった。こんなにも樹上に居たのかと、百数十羽の雀が、同タイミングで一斉に飛び去った。見事なチームワークだ。

直ちに情報が雀達の間に交わされた。「台湾人を警戒せよ、我々の天敵である」と。ここら一帯の雀たちは台湾人不信に陥った。何という事をしてくれたか、台湾人!

私は憤激に耐えない。男は図体は大人だが、脳は、動く物なら捕らえる本能の幼稚園園児並みだ。見た所インテリ-だが、 こんな事をする、しないは、インテリー度とは無関係の様だ。 これはDNAの問題だ。 遺伝子組み替え以外に付ける薬はない。精神幼稚症だ。

このバカはこれから行く先々の観光地で発症するだろうと思っていた二日後、 次の観光地、メルボルンの南のフィリップ小島で又も発症した。

翌日、バスがフィリップ島への渡し場に到着しない前から2キロ前方の島の上空は既にギンカモメの乱舞で見事だった。
ドウロ
カモメ達は 「オイ!又もカモが来たぞ」 と互いに交信していた。 売店でパン屑を買って島に渡る。パン屑を持って手を挙げると、鴎は直ぐ頭や腕に止まりパン屑をつつく。 糞を頭にひっかけりゃしないかとヒヤヒヤだ。

例の男は頭上に止まった鴎を今度は難無く捕らえた。ギャーギャー鳴くかもめは放たれ、男の顔には成功感の卑屈な笑み。 バカにつける薬はない。 動物を見たら捕まえろ、 中国人なら「捕らえて喰え」だ。 あのバカ、シナ人かもしれない。

5.十字星 きらめく光 誰がためぞ

1994.11.21夜、 人家のない夜道をバスが走る。 ヘッドライトに照らされた白い道の外は、暗闇で何も見えない。道路照明が無い。 その分星空がきれいだ。 車窓のガラス越に限られた視界で星見する。

視野に、並んだ星が二つ飛び込んできた。 とても明るい。一等星以上だ。 バスのカーブや進行につれて見え隠れする。 いっ時消えていた二つ星が、 バスがどんなカーブをしたのか、 更に同じ光度の第3の星を伴って一緒に再び視野に現れた。

この時、私は或る事に思い当たり、 胸騒ぎを覚えた。 もう一つ、 もうひとつあまり光らない第四星が隠れて居るのではないか? 期待と緊張で膝が貧乏揺すりを始めた。 

恐れと期待は的中した。 出た!!、 南十字星、 サザンクロスだ。 四つの星が十字を組んでいる。 あゝ彼女が見え隠れに私を招いている。 あの夜 確かに私は彼女、十字星を追っていたのだ。

バスは間もなくロトアル市に着いた。 原住民マオリ族の民俗舞を見て此処に宿泊の予定である。 十字星が気がかりで私は 退屈な演目から抜け出し、 広い庭園に出る。 星は直ぐ見つかった。 私を待っていたようだ。 仰角70度位、 殆ど頭の上だ。 煌々と輝いている。

台湾では姿を見せない彼女は今誇らしげにキラキラ煌めいている。 四つ星は各々が燃焼し、光と熱を地球に届けようとしている。しかし熱は届かない。星の光とは思えない輝かしいその神秘の光を満身に浴びて私は期待する、体中に何かの変化が起きようぞと。星光浴である。

今、 私はキー打つ手を休め、 13年前のあの感激を反芻している。 思えば60数年前、 軍歌からその名を知り、 生涯見るあたわずと教えられた星、 あきらめた星、今その光のシャワーを燦々と浴びながら感無量であった。

夢は見るもの、 強い願いはその実現を助成する。ミスティックな星の下、 ロマンは宇宙の彼方へ翔ぶ。

「翔び行け! わが想い、 金色の翼に乗って・・・・」。 古代この詩を合唱したヘブライの捕囚達も遥か南の地平線の十字星に想いを寄せて故郷を偲んで歌ったであろう。(この合唱曲はヴェルディーのオペラ「ナブッコ」中のPensiero。私の好きで好きでたまらない合唱曲である。ある若者が私に言った、この曲を聴いてると自然に 気ヲツケ!の姿勢を取る、と。
     

南十字星座は全天88星座の中最小星座だが、私を、人々を、魅了して止まない。
四つの星は、地上から見れば同一平面上にある様に見える。が 実際は地球からの距離はまちまちだだ。

宇宙はこの4すじの光が地球人の網膜に投影されて十字形になるよう星を配置した。 つまり宇宙広しと言えどもこれ等の星を十字形に見るのは地球人だけだ。 別の星(と言っても網膜を持つ生物のいる星は一つも知られてはいないが・・・)から見た四つ星は不規則に分散した星にすぎない筈だ。

十字星を配置した宇宙の思惑は何だったのだろう? 事もあろうに人類はこの十字星にヒントを得て、 十字架なる刑具を考案し、これまた事もあろうに、 この刑具で宇宙の神の子かも知れない一人のスーパースターをハリツケにした。 彼は人類の罪の深さを背負って刑を甘受した。誠に神性の力を見る。

四つ星の縦軸は南に傾斜していた。連想は昔見た映画のシーンへ飛んだ。頭ほどの太さも有る削り立ての木の十字架を一人の男が肩に担いで濡れた石畳の坂を注意深く登っている。

何度か滑り、膝と肩は血が滲んでいる。よく見るとその男に苦痛の様子は見られない。あの時男はすでに彼の神の世界へ踏み入っていたのだ。神を見たのだ。彼はこの十字架を小高いゴルゴタの丘まで担がねばならない。彼はそこでハリツケにされるのだった。そして全人類の罪業を背負って昇天した。億単位の人類が彼を受けいれた。

天下のクリスチャンよ、 ニュージーランドへ行け。 そして十字星を仰げ、 そして一人の男の受難に心を致せ。 そして十字の星に向かってクリスチャンとして何をすべきか、すべきでないか、星に聞こう。

6.森に住むペンギンの日課 / 出勤と帰宅

NHK TV 「地球ファミリー」 でオーストラリアの自然を、ペンギンの決死懸命の暮らしぶりで紹介していた。 感動の45分後、 見たいなあと強く願ったら、 今1994.11.24現地で実現した。 願えば報われる。 夢を持て!

前述のフィリップ島へ再びやって来た。 この島ではパンかじりのギンカモメは空に乱舞し、 アヒル位のフェアリ(妖精)ペンギンは森に暮らす、 生涯氷とは関係を持たない。

森と言っても平地ではなく、 なだらかな丘の上の林だ。 地面や草叢に穴を掘って親子の巣とする。 蛇や鼠等の天敵にはどう対処するのかとペンギンの為に心配する。 この林には数百羽位生息している。

朝、日出前、 暗いうちに日課が始まる。 親鳥総出で仕事場(海)へ出勤。 巣には雛だけだ。 又も蛇鼠が気に懸かる。 先ず、 丘を降りる。 いや転げ落ちるのだ。 ようやく浜の岩場に着いた。 と思ったら、 此処でも7転8倒、浜に到着。 擦り傷、で出血だらけだ。 これで潮水に浸かったら拷問だ。

休憩するか? 冗談じゃない、雛を餓死させる気か? 傷の痛みも何のその、 皆勇敢に海に跳びこむ。 海中を飛ぶように泳ぎながら、 小魚やホタルイカを胃にいっぱい詰める。 終日12H作業である。

各国人種を乗せたバス40台が続々と島に着いた。 各国の観光客1500人がゾロゾロ降りて来る。ペンギンの浜へのご帰還と我が巣へのご帰宅を見に来たのだ。

波打ち際から約200メートルの砂浜に座って待つ。 まるで世界人種ショーだ。 前方から観衆のざわめきが伝わってきた。 浜に黒い点々が押し上げられてた。 親鳥達のご帰還である。 「大声禁止」 「フラッシュ禁止」 と職員達は忙しい。

十数羽1グループでリーダーにについてヨチヨチと帰途を急ぐ。 長時間の重労働に加えて身重で、足取りは鈍い。 巣までの道のりは段差だらけに岩だらけ。 転び、躓き、擦り傷だらけ、なりふり構わず只一心不乱に歩き歩く。 感動の光景だ。

巣では雛が餓死寸前である。 一日一食の給食時間に遅れると雛は力尽きて息を断つ。 自分の巣を間違えた親鳥は悲惨だ。あちこちの巣から突付かれ追い出され、オロオロしてるうちに親も子も共たおれ。

胃の内容を吐き出して給食を終えると、 どっといっぺんに疲労が襲い、 死んだ様に深い眠りへ。 どんな夢を見るのだろう。

「あたし、何が楽しくて毎日こう辛いのでしょう。 あたし前世で何か悪い事をした? 来世は、あたしたちを無遠慮でジロジロ見ている人間様になりたいわ」。
今日は良いものを看た。

     

7.シドニーよ 見かけたおしの オペラハゥス

シドニー。世界の都、美しい街、オペラファンの夢のオペラハウス。その奇妙キテレツな屋根は何なのか、その下に何を秘めているのか、 と期待と好奇心で入口に立った。

あの西瓜二つ切りの、人の連想憶測を誘う型破りな屋根を仰ぎ見る。 バカでかい。 工事費が天井知らずに膨らんだのも無理ない。 館内に入った。 すぐにポスターや写真が貼られている長い廊下に案内された。 私の目的がこれだった。

ポスターや写真をくまなく検閲する。 そして分かったことは、 世界の名だたるオペラシンガーは誰も此処を訪れていないのだ。 勿論三大テノールもだ。

最も不可解なのは、目と鼻の先の、隣国ニュージーランドの歌姫、キリ テ カナワもこの歌劇場の客ではなかった様だ。

今や世界の最高ソプラノの一人である彼女に、元来二物を与えずの神が、 三物「美声、美貌、気品」を与えてしまった。 柔らかく艶々した彼女のアリアは耳に優しく音のエンジョイであった。多くのソプラノ歌手のソプラノは聴神経を逆撫でする。 悲鳴でしかない。

挙手投足の間に見られる気品は、今は亡きグレイスケリーのエレガンスを思い出させる。 このエレガントな気品は彼女の美貌をいっそう引き立てる。 原住民マオリ海洋民族の血を引く彼女の容貌は時にチラリと野性的情熱の影を見せる。

50歳の祝賀会(米国で)で彼女の打ったウィットに富んだスピーチは満場の喝采を博した。そして結尾の 「ニンゲン50歳、 最高!」のガッツポーズはキリの野性的な一面を見せて観衆は大喜び、 「キリーキリー」の呼び声は館内を揺るがした。

エンディングは彼女の同胞と「Now is the hour.」 を合唱した。 そしてこのセンチメンタルワルツは私のワルツレッスンの常用曲となった。

コンサートホールへ案内された。 台北のより見栄えがしない。 目だって観るものもなく、そそくさと外へ出た。もう一度あの奇天烈な屋根を仰ぐ。 私なりの結論は、 この屋根、演奏や音響とは関係ない様だ。 只のデコレーションにすぎない。 貴くついて用をなさなかった。

プロの建築家に見せたら、 一応 「おゝ、斬新なデザイン!」とお追従を言い、腹の中は 「アホくさ!」 だろう。 奇妙奇天烈な絵だからこそピカソであり、 奇妙な屋根だからこそ、天才建築屋なのかもしれない。

シドニーのランドマークは世界楽壇オペララ界から置き去りにされた様だ。 ガイドブック等で盛んにPRしてオペラファンの夢を掻き立てたが、開けて見れば玉手箱だった。

「海のあなたの空遠く、オペラハウスに夢住むと人の言う、あゝ我れ人と尋めゆきて、涙も出でず帰りきぬ」。1994.11.26

8.コンソレーション 真夏の夜の まぼろしか

夕闇迫る頃1994.11.26、シドニーシェラトンホテルにチェックインする、 一応五つ星である。 夜9時ともなれば部屋を出る客もいない。 が毎晩12時、1時と夜更かし常習屋の私にはそれは出来ない相談だ。

ホテル中をさ迷っていたら、2回のバルコニー風のロビーに蓋を開けたままのグランドピアノに出会った。

大げさに、それは「運命の出会い」であった。 蓋を開けたままというのも運命的だった。 誘うのだ。 ピアノ重症マニアを。 バルコニーの端から一階を見渡す。 客が一人だけ、バーでバーテン相手に独り酒を楽しんでいる。 弾こう、弾くことにした。 静かで短い曲、と頭の中で選んで、 リストのコンソレーションNo.3を指定した。

良いピアノだった。 キータッチングがスムースで、良く指になじんだ。 弱音ペダルを踏みっぱなしで「慰め」を 弾き終えた。

待っていたかのように階下から拍手が起こった。 ビックリして、 ピアノの位置から一階を見たが、 先刻の男がバーに居るだけである。 拍手はまだ続いてる、 黙殺する訳には行かない。 バルコニーの欄干へ行った。

其処に立っていたのは、 白い夜会服を纏った西洋の老貴婦人であった。 今晩階下で夜会でもあったのだろうか。 突然のハプニングに田舎っ平の私になにができよう。 反射的にピョコン頭を下げて其処を離れて逃げるように部屋へ帰った。

顔がまだ火照っていた。 そして真夏の夜の勝手な夢を追っていた。

私は片手を胸にレディに会釈する。 請われるままに次の曲「舞踏への勧誘」を弾く。 時空はタイムスリップしてサロン文化華やかなりし19世紀半ばのフランス、 今宵もサロンでは貴婦人や名士達が演奏を待っている。

リストは「慰めNO.3」を、ショパンは「エチュ-ド木枯らし」を弾く。 そして私もそのムードに酔ってっていた。 夏の夜もすがら悦に入ってまんじりともしなかった。 
                                       2.星を追って 完。 続く



『南十字星ロマン / 1.プロローグ』はこちらでご覧いただけます。
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-entry-42.html




もしよければ、このブログの応援クリックをお願いいたします。
人気ブログランキングへ
別窓 | Kiyoshi先輩の思い | コメント:1 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<南十字星ロマン / 3.エピローグ 2007.12.5 | 台湾魂と日本精神 | 二‧二八事件の真相の裏ーピント外れの相互認識>>
この記事のコメント
#306 kiyoshi先輩へ
私への返信有難うございます。恐縮しております。
私の祖父は海軍でフィリピン沖で戦死したとされています。祖父も南十字星を見ていたに違いありません。
新婚旅行にニュージーランドに行きましたが、自分達の事ばかり考え南十字星すら探すことを忘れてました。
このような話が20年前に聞けたなら私達の旅行も英霊の方を思う気持ちが加わり感慨深いものになったに違いません。
私は山登りが趣味ですが最近、富山県の立山連峰で氷河が見つかりました。勿論ニュージランドのような大規模なものではありません。
http://www.asahi.com/science/update/1130/TKY201011300601.html

また北アルプスの槍ヶ岳の槍沢にはU字谷が見られます。
古代日本に氷河が有ったことがわかりますが、今頃に氷河が見つかるというのも驚きです。
2011-01-27 Thu 19:37 | URL | subalan #-[ 内容変更]
∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
∧top | under∨
| 台湾魂と日本精神 |
copyright © 2006 台湾魂と日本精神 all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
台湾留学サポート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。