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南十字星ロマン / 3.エピローグ 2007.12.5
2011-01-31 Mon 19:50
                                         作者 Kiyoshi先輩

旅は終った。 いったい俺は、南の果てへ何しに行くんだ、と自分にも分からんままフラフラと家を出たが、 幸いに損はしなかった、 納得いく実りある旅をしたつもりで家に帰った。

その後何処にも行っていない。 齢を重ねるにつれ、外に出るのが億劫になる。 海外ツアーは、 束縛に始まり、 解放に終る。 十数日の束縛に甘んじて居られるほど魅力のある旅があるとも思えない。 いや、 旅の魅力は否定出来ない。

要は加齢老化に伴って色んな事への意欲が失われているのだと思う。 更に、 定着した暮らしのリズム変えるのが億劫なのだとも思う。

定年後、公職から、 束縛から解かれ、自由を満喫して、テニスに、ピアノに、ダンスに、 音楽に、 物書きに、まだ残れる情熱を燃やし悠々多忙の年月を費やして十数年、 今や日々は変わらぬリズムで繰り返す。 このリズムを狂わせたくない、 という事である。

NHKの放送で知ったのだが、 最近海外旅行で問題になっているエコノミックシーツ症候群なる突発事故が話題になってる。 旅客機の一番経済的な窮屈な座席で、 姿勢を変えないで長時間座っていると、足の静脈に血栓ができる。

目的地に着いて急に立ち上がり、行動をはじめる、すると血栓が血流に載って何処(か忘れた)かへ辿り着きそこで血管を詰まらせてしまう、危険な重体になる。 そのまま死亡した例もある。

私の職場の同僚一人が、空港に降り立って倒れ、 間もなく病院へ直行した。 経済座席症候群である。 海外旅行も命がけだ。益々腰が尻が重くなる。

                                   南十字星ロマン 完。 Kiyoshi
ご精読を有難うございました。 

『南十字星ロマン / 1.プロローグ』
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-entry-42.html
『南十字星ロマン / 2.星を追って』
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-entry-46.html





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この記事のコメント
#309 Kiyoshi先輩へ
南十字星のロマン/2へのコメントを書こうと思っているうちに、/3のエピローグが出てしまいました。今回は2回分合わせてということで、少し長いコメントをさせていただきます。

ニュージーランドは馴染みの薄い国ですが、Kiyoshi先輩の文章を読んで行ってみたくなりました。先輩はニュージーランド行きを十分に納得させるために5つの大義名分を考えられたとのこと。先輩の好みの傾向が窺えて微笑ましい気がいたします。

今村将軍のラバウルは今どんな状況にあるのでしょうか。一度訪ねて見たい気がしますが、今生では多分叶わぬ願に終わるでしょう。
Kiyoshi少年は重症航空マニアだったとのことから、運輸省航空局で事故調査の鬼と云われた楢林氏のことを思い出しました。私はその方面はおざなりの興味しかなかったのですが、ちょっとしたことから氏の知遇を得て、その方面は裏面にわたるまで随分詳しくなりました。楢林家は日本の近代医学の鼻祖、種痘導入にも功績があった家で、氏はその嫡男に生まれていますが、中学卒業後、大空への夢捨てがたく、民間の航空学校へ進み、操縦技術とともに機体設計、発動機理論も実践的にマスターされています。

楢林氏は鋭い知性と自由奔放な精神、現実的実行力、素朴で強い倫理観・正義感を有する愛嬌満点の快男児でしたが、悲しいかな帝国大学を出ていないハンディから日本の村社会では必ずしも所を得たとは言えません。各種の審議会で地団駄を踏むような悔しい思いをしています。
それでも海軍航空技術廠のエースで設計主任であった山名氏(彗星の設計主任)や隼の設計主任であった糸川氏などとは莫逆の友という間柄でした。重症航空マニアから話が果てしなく脱線して行きそうなのでこの辺で止めときますが、権威主義の二流の連中がのさばっていることに、日本の低迷の一因があると思います。楢林氏からもらった文献が山ほど残っているはずなので、Kiyoshi先輩が御希望ならお送りしたいと思います。

山間の谷へ海水が入り込んで出来た深く長い入り江で、眼前に広がるパノラマを焦点もなしにただボーッと眺めながら、そこが長年学校の授業で教えていたU字谷であることを発見された感動は文章から生々しく伝わってきました。このような「発見の鋭い喜び」(寺田寅彦)は人生にとって貴重な経験でですね。また、発見の確実さを確認するものとして氷磧を見つけられたのも、その余韻を楽しんでおられるようでほのぼのとしたものを感じました。

寺田寅彦でまた脱線しますが、1月末高知を訪れ、寺田寅彦の育った家を見てきました。高知城の隣にあり、戦災で焼けたそうですが、以前のままに再建され、懐かしい風情が漂っています。Kiyoshi先輩にも一見をお勧めしようと思っていましたが、もう日々のリズムを壊したくないとのこと、ご自愛第一と思います。

掌に舞い降りたスズメ、奇跡のハプニング、てのひらにニュージーランドの自然を感じられたとのこと、寅彦の小品「団栗」のようにこころをふるえさせるものがありますね。
そこへ登場したバカ男、おとぎ話に出てくる隣のいじわる爺よりはるかにたちが悪いですね。純真無垢な信頼感を逆手に取っておのれの劣情を逞しくしようなど天人ともに許さざる所業ですね。
―動物を見たら捕まえろ、 中国人なら「捕らえて喰え」だ。 あのバカ、シナ人かもしれない。― やはりそうきましたか。待ってました!というところですが、これって偏見ですよね。

5つ星ホテルのロビーのピアノスでリストの「慰め」を弱音で弾き終わったとき、「待っていたかのように階下から拍手が起こった」とのこと。拍手の主は「白い夜会服を纏った西洋の老貴婦人であった。」とはロマンチックですね。芥川なら一編の短編に仕上げたかも知れません。ところでKiyoshi先輩はどこでピアノを習はれたのでしょうか? 師大時代、学校で習われたのなら、中共から逃げてきた中国人芸術家ということになりますね。空想を逞しくすれば、またまた一編の小説が出来そうですが、冗長な長談義もこの辺にしておきます。またのご健筆楽しみにしています。
2011-02-01 Tue 12:14 | URL | t.ishise #-[ 内容変更]
#310
先日、我が長野県出身の台南空エースパイロット、ラバウルの魔王といわれた西沢広義のお墓参りをしてきたばかりなので、興味深く読ませていただきました。

またキリ・テ・カナワは個性的な声を持つ素晴らしいオペラ歌手ですが、台南空の個性的な面々といいkiyoshi先輩が心躍らせる対象が分かったような気がします。

次回、台湾を訪問する時は、台南に行きたいと思います。
2011-02-03 Thu 08:21 | URL | yamame #-[ 内容変更]
石瀬様へ

長い長いコメント、有難うございました。コメントは長いほど嬉しいが書く方は大変でしたよね。有難うございました。

五つの大義名分は天助もあって、大体自分のモノにして帰って来ましたが、其の他は何処で何したかあまり印象に残っていません。反って徒然に機窓からB747の大きい主翼の後縁の四つ(六つ?)のフラップが離着陸の高揚力の加減、飛行中の機体安定にどう関わっているのかを興味深く見た。

マッカーサーをして、「日本に上陸して初めて見た武士道」、と畏敬の感を表しめた「責任の男」、今村大将のラバウルは今、飛行場も零戦も新装なって島の観光スポットとしてラバウル戦争を戦った日米豪観光客の人気を集めているとの事。新零戦も新ラバウルの空を羽ばたいているビデオをYoutubeで見て大感激。元私の管轄であっただけに僕はまあまあ満足じゃ。

それにしても、驚きましたね。楢山氏、「彗星」の山名氏、「隼」の糸川氏等、錚々たる顔ぶれが出てきました。山ほど有る文献!これが、70年前の私でしたら体中の孔から手が出るほど欲しかったであろう。

ここまで書き込んで、突然舞い込んだ野暮用の為、お暇を頂いて、何と一ヶ月近くも休んでしまった。済みませんでした。只今続きを追い込みにかかります。

当時ソリッドモデル製作のため、僕は日本軍機の三面図が欲しかった。現今のプラモデルの様に既製品のパーツを、セメダインで指定の箇所に糊付けするだけで、ゼロ戦完成という生易しい作業ではなく、一本の角材に三面図の側面図と垂直尾翼を描き、胴体と垂直尾翼を削りだす、これに主翼と水平尾翼を取り付ける、という気の遠くなるような作業で、これに使用した工具といえば、中学生がなけなしの小遣いをはたいて買った糸鋸一本、鉛筆削り用の小刀、鑢の代用品としてガラスの破片、左手は万力代用品。こうして零戦と多くの米軍機の立体模型を作った。

モデルを吊るして壁に映る各方向のシルエットを愉しんだ。零戦は芸術品だった。風が部屋に吹き込むと、機はグルグル回り、そのシルエットはバレエダンサーのピルエットにみえた。

「発見の鋭い喜び!」この名言、有難うございました。今回のこの輝かしいフレーズの発見こそ、鋭い喜びでした。小学生時分よく台南運河で貸しボートを漕いだ時、両手力一杯にオールを曳いて加速し、水中に肘から手までを真っ直ぐに伸ばしてボートの縁と平行進行方向にに水中に手を置く、手とボートは同速度で進む、この時、掌を縁から離すと急に掌は水から推されてボートから離れる。飛行少年にとってこれは正に「航空機、空に浮上する発見の鋭い喜び」だった。

「やはりそう来ましたか、待ってました!というところですが、これって偏見ですよね」。いやいやご遠慮にはおよびません、「あれは達見ですよ」。「バカは死ななきや治らない」。これは総合達観。

終戦で講堂のグランドピアノも開放、何時でも蓋が開いた。幼少の頃から自宅のオルガンで勝手な伴奏を付けて流行歌や軍歌を弾いていた私は、黒と白の光る芸術品を前にして、自己流のでたらめ弾きで、ピアノに苦痛を与える事を躊躇った。或る日、一期下の後輩の演奏を驚きを持って聴き、ショパンとピアノ開眼する。

後輩が弾いたのは、ショパンの即興幻想曲。力の低音に始まった開曲は急に高音部のけたたましい悲鳴にも似た散らばる音の粒になって中音部へ流れ、分散和音に乗ってこの曲のメロディーが忍び出る。それは聴いた事もない実に異質なセンチメンタルな旋律で、深く心を攫われた。弾きたい!弾こう!強い願望は夢の実現力を生む。といいながら、僕はこの時楽譜さえ読めなかったから大笑いだ。

まもなく師大入学、ピアノ武者苦行がはじまる。楽譜は音楽部の友人から借り、
夜を日に継いで写した。毎日の事で何を勉強しに師大へ来たのか?と苦笑する日々であった。ショパンに取り憑かれていた日々だった。白紙からいきなり難曲へ挑戦した。夜蝋燭を点しての苦行だが、曲が徐々に自分の物に成っていった。20年の悲願叶い黒と白の芸術品が我が家に運び込まれた。黒は女性の瞳、白は肌を連想してピアノに耽溺沈没していった。

ピアノに師匠は要らない。ピアノ習いに成功したと自信する青年男女諸君に聞きたい。今日の成就は先生のお陰と思うか?あなた達は、先生から君の分からん何かを習ったか言えるか?今有るは皆々君の弛まぬトレニング、自分の工夫の賜物ではないかね。私は今一度敢えて言う、ピアノに先生は要らない、要るのはピアノへの愛、恋着、音楽への愛、トレニングも亦楽しからずや・・・・と思う気持ち等でしょう。

長いお休み、済みませんでした。今日は有難うございました。Kiyoshi


yamame 様へ

作品をお読み下され、有難うございました。返事が一ヶ月も遅れて、相済みません。「撃墜王」坂井三郎はよく耳にしました、又「台南空」の三羽烏でも聞きましたが、「ラバウルの魔王」は初耳でした。写真はプロレスラー「馳浩」が飛行帽を被っているように見えました。

台南へいらっしゃいましたら、台南上空空戦で散華した台南空の杉浦パイロットが「飛虎大将軍」という神名で祭られている廟をおまいりすると良いでしょう。

有難うございました。                   Kiyoshi
2011-02-24 Thu 01:47 | URL | kiyoshi #uulgoZYA[ 内容変更]
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