新高山百合
http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/

スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
狭き門
2012-02-05 Sun 19:55
           
          「来て見れば 昔も今も 狭き門」

                                         作者 Kiyoshi先輩

年に一度、有っても無くてもいいような会合に顔を出すため、中学の母校に出向いた。

緩やかなダラダラ坂を登り、校門を通り、本館の北端を迂回して会場へ行こうとしたが、かねがね考えていた或る事を思い出し、反射的に校門の方を振り返った。しばし躊躇の後、踵を返して校門の方へ戻って行った。校門の中央に立ち、校門をしげしげとみつめた。

狭い!確かに狭い。私は門柱に背中を付け、別の門柱へと歩を移す。8.6歩、4.3m。長年の学校勤務でこれよりも狭き門を知らない。あまりの狭さにここを裏門と勘違いしている在校生が多いと聞いた。まさか若い教師達までが?再教育せねば…。

狭きこの門、過去幾多の少年達を門外に拒み、その青い志を挫いた事か。少年達は涙を呑んで恨めしげに後を見い見い、坂を下って行ったであろう。

               「罪深き 狭きこの門 今もなお」

そして今私が70年前を回顧する時、かつて門外に拒まれた少年達も、選ばれて狭き門を潜った小年達も、夫々の人生を闘い、共に84の坂を駆け上がって来た。これ等二組の少年達の人生は皆正解だったのだと感慨深い。

今思う、「人間84年、下天のうちを比ぶれば、それ夢まぼろしの如くなり(信長)」。今日、忘月忘日、また思う、「昨日かくてありけり、今日もかくてありなむ、この命なにを齷齪、明日をのみ思いわずらう(藤村)」。

開会時間までかなりの間があったので、玄関前の大蘇鉄茂る植え込みの庭石に座りて、静思回顧しばし慰む。玄関の方を見つめる。

70年前(1942)、3月忘日の玄関の喧騒と人だかりが鮮やかに眼前に彷彿した。小学から中学への入試合格発表である。その日も私は今と同じ庭石に腰掛けて目の前に映る人間模様を楽しんでいた。すでに掲示板に自分の名を確かめた後だから心にゆとりが出来ている野次馬だった。

中年の婦人と息子らしき少年が人力車で校門に着いた。車は婦人の指図か或いは車夫のマナーか、門外で車を止めて二人を下ろした。少年の手を引いて、婦人はいそいそと掲示板へ向かった。黒山の人だかりの中を婦人は少年を後に残し、腰を低くしながら前へ割り込ませてもらい、番号を探す。

間もなく動いていた頭が停まり人だかりの中から出てきた。待っていた少年に優しそうになにか言って車の方へ歩き出す。直感で「落ちた!」と思った。母と子は車に上がり坂を下りていった。

この時から少年のこの学校に「拒まれた人生」が始まった。

校門の前方遠くから少年二人、こっちへ歩いてくる。パンツにシャツ、そして裸足である。それはありふれた当時の子供たちの身なりであって、別に違和感はない。物資統制、入手困難な運動靴を長持ちさせる為、むしろ奨励されていた。実際にその頃私小学生は校内では裸足だった。裸足の足裏は運動靴以上に長持ちした。

うち一人は空き缶を下げ二人は、楽しそうなお喋りだ。日本語かもしれない。

校門まで来るには、北と南へ夫々分かれ道があったが二人は尚も真っ直ぐに校門へ向かって来る。坂を登りかけている。手に提げた空き缶の中にもう一つ小さい空き缶があるらしくカラカラと音を立てている。木の棒が一本入ってる。

やっと分かった、こいつ等コオロギ狩に来たんだ。手に提げてるのはコオロギ狩の伝統兵器だ。それにしても我が校の構内を狩場に選ぶとはいい度胸だ。

校内の狩場はただ一箇所、運動場西南端の崩れた城壁傍の草地。中三の時、級友二人で、此処で空襲に備えて一人用の青空退避壕、通称タコツボを掘っていたら、あっちこっちの穴から捕虜、貴重蛋白源がゾロゾロ這い出してきた。

濡れ手に粟の如く、追いかけ掴み、ポケットに暫く飼って帰宅後処刑する。まず、胸を強く挟み窒息させる。衣は付けないで油に入れる。注意!絶対に生きたまま煮え地獄に入れるな。必ず化けて出て来る。
サクサクの歯ごたえ、プンと鼻つく美味芳香、戦中最高のゼイタクだった。

付近に清水流れるせせらぎがあり、これが校内と校外を分ける国境だった。小川の向こうには民家の自給自足の家庭菜園があり、その関係か、この草地は虫たちの格好の生息地になった。

当時は非常時下、夜半でも警報が鳴れば規則に従い、学校警備のため登校した。その時によくこの草地に来た。清流はよく蛍を呼んだ。地上は揺れ行く魂のような蛍、天上はこの魂がたどり着いた大星夜であった。公害、光害と言う言葉の無かった古き良き遠い毎晩の宝石を散りばめた星空であった。

               「闇ほたる 上へ上へと 星になり」

「少年よ、大志を・・・」なんて時代錯誤的な台詞は言わない、BLOG、FB、NET、電子ゲーム、万能ケータイいじり…等もいいが、偶には自然からエネルギーをもらっててコオロギ狩をしようではないか。

と言っても、今町中でコオロギの穴なんて見つからない。狭い路地までが舗装されて土の地面は殆ど無い。何時も思うのだが、此れは間違つた環境美化だ。折角降ってくれた雨も地下水になれず海の中、追い討ちをかけるように養殖業の地下水使い放題、地盤は沈下する一方。地球は変貌の一途。

郊外へ行こう。水を大量に使うので水源に近い穴を探そう。棒切れを穴にソロソロ差し込んで敵の在不在を確かめる。土の感じなら空き巣。柔らかい手ごたえは敵。敵は敵でも偶に「草尾蛇」と呼ばれる無毒のヘビが素早く逃走する。空き巣占領の可愛い蛇である。殺してはいけない、殺す理由も無い、益虫だ。

水を穴へ注ぎ込む、が直ぐに土に吸われる、棒切れで知面から穴に向って差し込む、水の倹約と敵の退路を絶つ。どんどん水を注ぎ込む、そのうちに飽和して水は穴に溜まる。虫は呼吸が出来なくなってソロソロと這い上がってくる。探知器のアンテナ二本が先に出てくる。頭隠してヒゲ隠さずだ。すかさずそれをつまんで釣り上げる。これで戦果一匹だ。少年達よ味わえこの快感を。

「もっと遠くへ行け、もう悪いヤツには捉まるな」とよく諭し説教して放してやる。これが男の狩りロマンだ。今は豊饒飽食の時代だ、虫の二三匹には事欠かないだろう。触角をつまんで吹く、透明と不透明4枚の翅をヒラヒラさせて嬉しそうに青空へ消えて行く。


さて話をコオロギ二少年に戻す。二人は脇道には行かず、校門をめざしている。とうとう坂を上り校門を通り校内に入ってきた。私は興味が湧いて来た。身なりと手にした小道具で二人が受験生とは思わなかった。それが落とし穴だった。二人は掲示板へ向かった。小さいほうが道具を持ち、素手になった一人が敏捷に人だかりの中へ割り込んだ。

間もなくするりと抜け出して、掲示板を指差して頓狂な声で連れにわめいた。「あそこ、僕の名前!僕の名前!」。もちろん日本語で。連れは小躍りした。弟らしい。二人は大声でペチャクチャ、ペチャクチャお喋りながら坂を下りていった。狩は止めたらしい。

私は幸運にもこの爽やかな光景を目の当たりにし、それが同期生第一号との出会いであった。彼は狩りのついでに合格発表を冷やかしに来たのだ。無くてもともと、有れば儲けもの、棚からぼた餅だ。かく言う私も一緒だった。その後、校内文集で、名乗りを挙げてもらいたかったが、遂に分からずじまいだった。ハダシのコオロギ狩に抵抗を感じたのか?

玄関の喧騒は消え、私は回想から現に返った。70年前に見た失意落胆の人力車少年と、希望歓喜のコオロギ少年、光りと影の強烈なコントラストだったが、今84歳の坂を登りきった二人の人生は皆正解であっただろう。感慨が胸を通り過ぎる。独り私は「我が生涯は 悔いだらけ!」

「狭き門」が束の間の暖冬の朝陽に、さんさんと映えている。が土曜休校日の玄関前の植え込みは暗い静寂、ここにも光りと影の映り合いがあった。今年一月忘日、風が首筋に冷たい世の中だったが、暖冬の朝のひと時であった。

やおら腰を上げて会場へ急ぐ。      2012.1月忘日



別窓 | Kiyoshi先輩の思い | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<忘れ得ぬ彼の年一九四七 | 台湾魂と日本精神 | 【転載】 「和歌」に込められたメッセージ>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
∧top | under∨
| 台湾魂と日本精神 |
copyright © 2006 台湾魂と日本精神 all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
台湾留学サポート
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。