新高山百合
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さくら さくら
2012-03-31 Sat 09:00

鄭  昌       桜木に蕾みつけし冬の日に風な吹きそと春まちわぶる

(同 上)       冷えこみて桜のつぼみ固くしてしばし待たるる春の訪れ

黄 秀菊      春先の見事なる宣言爛漫の桜並木が夢に浮べり

黄 教子      わが胸を打ちてしめらふ春の雨せつなきほどに桜を見たし

謝 雲嬌      しとしとと雨に降られて桜花さびしかるらむ寒くあるらむ

陳 淑媛      早春の野にも山にも緋寒桜俯きて咲く姿羞(やさ)しく

王 正子      緋桜の俯き咲くはいぢらしく遠き初恋思ひて眺む

林 百合      花ごとに雨つゆふふみて朝光(あさかげ)にけぶりあい咲く山桜花

(同 上)       花ごとに朝露ふふみてきらめける真白き桜のいとすがすがし

呉 順江      満開の桜の花に驚きてこれはこれはと声あぐるのみ

趙 寛寛      垣根より覗きて見ゆる桜の木満開のピンクにしばし足とめて

鄭  昌       桜花卯月の野山に咲きこぼれ美しきかなふる里の春

游 細幼      桜見の季(とき)には早き草山に短歌の種をば拾ひに来たり

林 梅芳      華やかな桜の下に吟味する春はうららと咲き誇るかも

(同 上)       咲く花と風に心のゆるる春短歌を綴りて一人楽しむ

林 百合      大空に枝打ちかわし咲き盛る桜は花の大傘かざす

潘 達仁      咲き盛る花を見上ぐる人のなし佇む我に降る山桜

蔡 永興      野に出でてこれはこれはと咲き満つる桜吹雪の道を我が行く

林 碧宮      満開の南洋桜の木の下で花と語らふ至福のひと時

荘 進源      遅咲きの桜は庭に咲き盛り散りたる隣の桜を見つむ

荘 清冷      満開の桜花見て来し嬉しさに今年の春は吉のあるらし

陳 家権      絶え間なく気遣ひ育てし八重桜春を迎ふる庭に咲き乱る

林 蘇綿      李総統を産み育てたる三芝郷あの山この道八重桜かな

呉 淑子      春に入り北風いまだ冷たきに吉野桜は阿里山に盛る

潘 建祥      卯月に咲く花に魅せられ阿里山へ吉野に負けぬ台湾さくら

鄭  静       花吹雪両の手に受け肩に受け杳き日憶ふ今朝の阿里山

陳 英侯      春雨の阿里山桜花さかり雨にうたれて散るを惜しまず




          2011年臺灣阿里山櫻花之美 (作者 ytc41)


林 聿修      「ようこそ」と頬を撫でゆくしだれ桜に吾も笑み返す奈良東大寺

(同 上)       聖徳太子一族の悲史そのままに薄墨かなし法隆寺のさくら

(同 上)       咲き満つる桜やよいの風に舞ひ舞ふ嵐山らんまんの春

(同 上)       舞ひ落つる桜に送られ渡月橋ゆく人力車(くるま)の女ら笑みこぼし

頼 淑美      高台寺今を盛りと桜咲き心和ます春のひととき

河盛尚哉     菜の花の黄色と競ひ凛と咲く近江過ぎゆく桜前線

蔡 永興      名古屋城見ゆる限りの花桜堀の内なる城を隠せり

歐陽開代     目を奪ふ淀の岸辺の桜花太閤偲び船浮かびゆく

温 西濱      太閤が花見の宴を開きたる城址にわれは夜桜見たり

(同 上)       吉野山見渡す限り霧桜ビデオカメラに我を忘れて

李 聡火      跡形のなき安土城の道の辺に桜花満開「信長」思ひいづ

歐陽開代     桜舞ひせせらぎ澄める熊野路の敷島一の桃源の地や

陳 清波      仰ぎ見る今を盛りの山桜日光街道に花咲爺の夢

黄 教子      千鳥が淵染むる桜の花霞時空を超えて探しゆく影

(同 上)      花の下眠るがごとく死ぬもよしさくらさくらの花の海ゆく

郭 清來      桜狩り遥々来たる弘前は花は未だし蕾に吐息

周 福南      あでやかに満開の桜揺れゐたり肥後の古城の歳月を詠む

李 英茂      城山の合戦の跡に舞ふさくら木の間がくれに煙噴く島

鄭  静       咲き初むる染井吉野をいとほしみ春風そよと靖国の庭

(同 上)       ひめやかに桜の咲ける靖国にみ霊の声をと耳澄ましたり

黄 教子      靖国のさくらは御霊の集ひとも思へて青き空を見上げぬ

曾 昭烈      汝が霊に誘はれて来し靖国の桜の花びらおともなく散る

温 西濱      九段坂空征きし兄偲びつつ合はす双手に桜花散る

洪 坤山      靖国に神と祀られし英魂よ日台共に同期の桜

黄 華浥      台湾に日本の心を尋ねんと来し人らと唄ふ同期の桜

蔡 龍鐘      桜咲く並木の道を高らかに軍歌うたひしかの日懐かし

温 西濱      肩を組み同期の桜唱ふ熱血の時代は過ぎて思い出はるけし



               同期の桜 (作者 v8yw)


田上雅春     咲きほこる桜並木に春の雨今暫しだに耐へてな散りそ

姚 望林      春雨に桜の下を洋傘さして花びら載せつつをみなは歩む

文 錫樫      春雨のそぼ降る中を着くバスに桜花びらは何処で附けし

(同 上)       風の中光の中に散る桜蝶蝶の舞ふ如く閃く

頼 榕煌      風に揺れ雨に打たれて散る緋桜春雨けぶる花の盛り時

蔡 永興      春行くや満開の花散り落ちぬ神のいたづら雨降りやまず

(同 上)       散る花のひとひらごとに舞ふ日影人酔はしむる春幾たびも

林 月雲      春雨に散る山桜の花むくろ遠き青春浮かびてさみし

黄 秀菊      花が散り又咲き誇る青春は呼べどかへらぬ夢とぞ知れり

游 細幼      美しく咲き競ひてもやがて散る花の生命は風に吹かれて

(同 上)       散る桜掌に受けとればわが細き生命線に触れて落ちけり

潘 達仁      階に散りたる桜の花むしろ生命の景にたどりつきしか

呉 順江      暫しの間誇り咲きゐし桜花未練見せずに清く散りゆく

黄 華浥      桜花「散るべき時に清く散り」我は唄ひし我は学びし

林 燧生      桜花弥生の風に散りにけり大和魂を身近に見せて

徐 誠欣      いち早く若葉となれる桜より風の日花の花片飛びゆく

鄭   昌      葉桜の季節きたりて想ひ出は弥生の空に風と消えゆく

游 細幼      葉桜の枝先に咲き残る花ひとつひそかにこの春は逝く

陳 秀鳳      咲けば散る自然の摂理もはらはらと散りし桜に胸熱くなる



河盛尚哉     台湾に桜を植うる人のあり大和心はかくやありなむ

北嶋和子     霧社に咲く桜並木の樹液には大和魂満ちて溢るる

鄭  静       ふたそ歳桜並木に花咲かす埔里から霧社へと花咲か爺さん

黄 教子      去年植ゑし河津さくらの咲くと言ふ霧社の花守り王海清さんは

(同 上)       もう一度霧社を桜の名所にと黙々植ゑきて君さくら守り

(同 上)       台湾にさくらを送り続けむと日本李登輝友の会の人らは

蔡 焜燦      台日の友誼の絆なほ強く固めてゆかん桜の交流

黄 教子      祖国より贈られ来たる河津さくら紅ほのぼのと開花きをり

(同 上)       日本と台湾結ぶうるはしき河津さくらの花の橋かも

(同 上)       歳月を経りゆくほどに台湾の桜となりて満天に咲け

(同 上)       これよりは桜前線台湾を起点となすと思へばうれしも

陳 秀鳳      夫の夢「桜前線台湾から」何時かは叶ふ開花宣言

柚原正敬     台湾に贈りしさくら今年また咲き初むと聞く春は来にけり

蔡 焜燦      蓬莱の地に根を張りし大和桜台日友好絆はかた志


呉  萬       庭先に桜の苗を植えにけり余生の限り花を咲かせと

柚原正敬     春に愛で夏に憩へる桜木ゆ豊けくいろふ朽葉しきふる

蔡 永興      一本の桜といへど春の夢希望もたらし赤く燃え立つ

林 聿修      遠き日の母国日本の被災地に桜早よ咲け幸ともなひて

蔡 西川      震災の復興の桜きつと咲くと花見に誘はれ返信に書く

胡 月嬌      年々の豪雪耐へて来し民よ桜も咲きて励ましゐるぞ

蔡 焜燦      日の本の被災の友どちこの我も君らと共に春や忘れじ




さくら  森山直太朗+合唱  /  311 東日本大震災 東北の復興を祈って・・・
(作者 senseofwonder888)




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忘れ得ぬ彼の年一九四七
2012-02-28 Tue 02:28

台湾歌壇の蘇楠榮先輩の 『 南 島 に 息 吹 く ー 蘇 南 瀛 歌 集 』 より

蘇楠榮先輩  歌集「南島に息吹く」 
 

「 忘 れ 得 ぬ 彼 の 年 一 九 四 七 」

―――それは日本敗戦の後一年半、作者が大学一年生の二学期、十八歳四ヶ月の時のことであった。そしてこれらの歌は二○○九年一月にかけて作ったものである。


   殺されも殺しもせずに生き延びし落人の我一九四七

     
   戒厳の布告読み居し三人が巡邏の隊に射殺されしとふ

    
   北門の物見の衆に急掃射命拾ひし韋駄天我は


   雨の夜のルーズベルト路石の道巡邏車に遭ひ氷背を走す

 
   集へるも武器領(と)りのどち桃園ゆ疲労困憊徒手にて返る


   戒厳下ひと日通じし汽車に馳せ兇都脱出桃園目ざす


   義勇軍の有りと聞きしも来て見れば伍長囲みて二十幾たり


   機銃すえし憲兵隊を襲ふとか震へつつ聞く雨の冬の夜


   日軍の埋めたるといふ手榴弾唯一の武器と心して持つ


   配られたる手榴弾持て跳び入れば警官手を挙げ銃器庫開く


   日本刀さげて下山せし酋長は抗戦無謀と出兵拒む


   思ひきやかの医学士の酋長の他日睨まれ露と消えんとは


   基隆と高雄に大軍上陸と報せのありて衆心搖らぐ


   奪ひたる銃持て集ひし角板山勝目なしとて解散となる


   二二八の我は落人故き友と銃捨て難てに野をさまよひし


   銃肩に夕陽の浅瀬を渉りにきそのせせらぎの澄める思ひ出


   用なさず葬る銃よ腹いせに森に向ひて「轟」と一撃


   乗せくれしトラックの上に銃構へ検査の站を不意に駈け抜く


   月無き夜とある山辺の崖下に銃を埋めにき涙もろとも


   敵ひとり屠らず埋めしゴムマントの中の火筒よ六十年の銹


   栓抜ける榴弾秘めて哨兵の前過ぎし夜の胸のどよめき


   銃なき日ホームにしゃがみ飯食らふ敵兵睨みて空(から)歯がみせし


   名を知らぬ案内入れて四銃士学友(とも)等先立ち早やも幾とせ


   云はざりし十(と)八の歳の「二二八」を八十路に語る長らへしかも



              蘇楠榮先輩(18#27506;)
           台湾大学入学。一九四六年九月。
      「忘れ得ぬ彼の年一九四七」の歌の半年前の蘇楠榮先輩。




<関連記事>
御霊よ永遠に安らぎたまへ
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二・二八事件を詠う
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中華民国に統治されてきた台湾人の怒りと悲哀
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狭き門
2012-02-05 Sun 19:55
           
          「来て見れば 昔も今も 狭き門」

                                         作者 Kiyoshi先輩

年に一度、有っても無くてもいいような会合に顔を出すため、中学の母校に出向いた。

緩やかなダラダラ坂を登り、校門を通り、本館の北端を迂回して会場へ行こうとしたが、かねがね考えていた或る事を思い出し、反射的に校門の方を振り返った。しばし躊躇の後、踵を返して校門の方へ戻って行った。校門の中央に立ち、校門をしげしげとみつめた。

狭い!確かに狭い。私は門柱に背中を付け、別の門柱へと歩を移す。8.6歩、4.3m。長年の学校勤務でこれよりも狭き門を知らない。あまりの狭さにここを裏門と勘違いしている在校生が多いと聞いた。まさか若い教師達までが?再教育せねば…。

狭きこの門、過去幾多の少年達を門外に拒み、その青い志を挫いた事か。少年達は涙を呑んで恨めしげに後を見い見い、坂を下って行ったであろう。

               「罪深き 狭きこの門 今もなお」

そして今私が70年前を回顧する時、かつて門外に拒まれた少年達も、選ばれて狭き門を潜った小年達も、夫々の人生を闘い、共に84の坂を駆け上がって来た。これ等二組の少年達の人生は皆正解だったのだと感慨深い。

今思う、「人間84年、下天のうちを比ぶれば、それ夢まぼろしの如くなり(信長)」。今日、忘月忘日、また思う、「昨日かくてありけり、今日もかくてありなむ、この命なにを齷齪、明日をのみ思いわずらう(藤村)」。

開会時間までかなりの間があったので、玄関前の大蘇鉄茂る植え込みの庭石に座りて、静思回顧しばし慰む。玄関の方を見つめる。

70年前(1942)、3月忘日の玄関の喧騒と人だかりが鮮やかに眼前に彷彿した。小学から中学への入試合格発表である。その日も私は今と同じ庭石に腰掛けて目の前に映る人間模様を楽しんでいた。すでに掲示板に自分の名を確かめた後だから心にゆとりが出来ている野次馬だった。

中年の婦人と息子らしき少年が人力車で校門に着いた。車は婦人の指図か或いは車夫のマナーか、門外で車を止めて二人を下ろした。少年の手を引いて、婦人はいそいそと掲示板へ向かった。黒山の人だかりの中を婦人は少年を後に残し、腰を低くしながら前へ割り込ませてもらい、番号を探す。

間もなく動いていた頭が停まり人だかりの中から出てきた。待っていた少年に優しそうになにか言って車の方へ歩き出す。直感で「落ちた!」と思った。母と子は車に上がり坂を下りていった。

この時から少年のこの学校に「拒まれた人生」が始まった。

校門の前方遠くから少年二人、こっちへ歩いてくる。パンツにシャツ、そして裸足である。それはありふれた当時の子供たちの身なりであって、別に違和感はない。物資統制、入手困難な運動靴を長持ちさせる為、むしろ奨励されていた。実際にその頃私小学生は校内では裸足だった。裸足の足裏は運動靴以上に長持ちした。

うち一人は空き缶を下げ二人は、楽しそうなお喋りだ。日本語かもしれない。

校門まで来るには、北と南へ夫々分かれ道があったが二人は尚も真っ直ぐに校門へ向かって来る。坂を登りかけている。手に提げた空き缶の中にもう一つ小さい空き缶があるらしくカラカラと音を立てている。木の棒が一本入ってる。

やっと分かった、こいつ等コオロギ狩に来たんだ。手に提げてるのはコオロギ狩の伝統兵器だ。それにしても我が校の構内を狩場に選ぶとはいい度胸だ。

校内の狩場はただ一箇所、運動場西南端の崩れた城壁傍の草地。中三の時、級友二人で、此処で空襲に備えて一人用の青空退避壕、通称タコツボを掘っていたら、あっちこっちの穴から捕虜、貴重蛋白源がゾロゾロ這い出してきた。

濡れ手に粟の如く、追いかけ掴み、ポケットに暫く飼って帰宅後処刑する。まず、胸を強く挟み窒息させる。衣は付けないで油に入れる。注意!絶対に生きたまま煮え地獄に入れるな。必ず化けて出て来る。
サクサクの歯ごたえ、プンと鼻つく美味芳香、戦中最高のゼイタクだった。

付近に清水流れるせせらぎがあり、これが校内と校外を分ける国境だった。小川の向こうには民家の自給自足の家庭菜園があり、その関係か、この草地は虫たちの格好の生息地になった。

当時は非常時下、夜半でも警報が鳴れば規則に従い、学校警備のため登校した。その時によくこの草地に来た。清流はよく蛍を呼んだ。地上は揺れ行く魂のような蛍、天上はこの魂がたどり着いた大星夜であった。公害、光害と言う言葉の無かった古き良き遠い毎晩の宝石を散りばめた星空であった。

               「闇ほたる 上へ上へと 星になり」

「少年よ、大志を・・・」なんて時代錯誤的な台詞は言わない、BLOG、FB、NET、電子ゲーム、万能ケータイいじり…等もいいが、偶には自然からエネルギーをもらっててコオロギ狩をしようではないか。

と言っても、今町中でコオロギの穴なんて見つからない。狭い路地までが舗装されて土の地面は殆ど無い。何時も思うのだが、此れは間違つた環境美化だ。折角降ってくれた雨も地下水になれず海の中、追い討ちをかけるように養殖業の地下水使い放題、地盤は沈下する一方。地球は変貌の一途。

郊外へ行こう。水を大量に使うので水源に近い穴を探そう。棒切れを穴にソロソロ差し込んで敵の在不在を確かめる。土の感じなら空き巣。柔らかい手ごたえは敵。敵は敵でも偶に「草尾蛇」と呼ばれる無毒のヘビが素早く逃走する。空き巣占領の可愛い蛇である。殺してはいけない、殺す理由も無い、益虫だ。

水を穴へ注ぎ込む、が直ぐに土に吸われる、棒切れで知面から穴に向って差し込む、水の倹約と敵の退路を絶つ。どんどん水を注ぎ込む、そのうちに飽和して水は穴に溜まる。虫は呼吸が出来なくなってソロソロと這い上がってくる。探知器のアンテナ二本が先に出てくる。頭隠してヒゲ隠さずだ。すかさずそれをつまんで釣り上げる。これで戦果一匹だ。少年達よ味わえこの快感を。

「もっと遠くへ行け、もう悪いヤツには捉まるな」とよく諭し説教して放してやる。これが男の狩りロマンだ。今は豊饒飽食の時代だ、虫の二三匹には事欠かないだろう。触角をつまんで吹く、透明と不透明4枚の翅をヒラヒラさせて嬉しそうに青空へ消えて行く。


さて話をコオロギ二少年に戻す。二人は脇道には行かず、校門をめざしている。とうとう坂を上り校門を通り校内に入ってきた。私は興味が湧いて来た。身なりと手にした小道具で二人が受験生とは思わなかった。それが落とし穴だった。二人は掲示板へ向かった。小さいほうが道具を持ち、素手になった一人が敏捷に人だかりの中へ割り込んだ。

間もなくするりと抜け出して、掲示板を指差して頓狂な声で連れにわめいた。「あそこ、僕の名前!僕の名前!」。もちろん日本語で。連れは小躍りした。弟らしい。二人は大声でペチャクチャ、ペチャクチャお喋りながら坂を下りていった。狩は止めたらしい。

私は幸運にもこの爽やかな光景を目の当たりにし、それが同期生第一号との出会いであった。彼は狩りのついでに合格発表を冷やかしに来たのだ。無くてもともと、有れば儲けもの、棚からぼた餅だ。かく言う私も一緒だった。その後、校内文集で、名乗りを挙げてもらいたかったが、遂に分からずじまいだった。ハダシのコオロギ狩に抵抗を感じたのか?

玄関の喧騒は消え、私は回想から現に返った。70年前に見た失意落胆の人力車少年と、希望歓喜のコオロギ少年、光りと影の強烈なコントラストだったが、今84歳の坂を登りきった二人の人生は皆正解であっただろう。感慨が胸を通り過ぎる。独り私は「我が生涯は 悔いだらけ!」

「狭き門」が束の間の暖冬の朝陽に、さんさんと映えている。が土曜休校日の玄関前の植え込みは暗い静寂、ここにも光りと影の映り合いがあった。今年一月忘日、風が首筋に冷たい世の中だったが、暖冬の朝のひと時であった。

やおら腰を上げて会場へ急ぐ。      2012.1月忘日



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【転載】 「和歌」に込められたメッセージ
2011-11-11 Fri 20:35

心に沁みる文章なので、日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」から転載させていただきました。


【メルマガ日台共栄:第1448号】
「和歌」に込められたメッセージ  岡田 邦宏(日本政策研究センター所長)
http://melma.com/backnumber_100557_5333627/

東日本大震災から8ヵ月が過ぎようとしています。亡くなられた方は1万5,835人、行方不明の方はまだ3,668人もいます(11月8日、警察庁緊急災害警備本部発表)。1999年9月21日に起こった台湾大地震で亡くなられた方は2,415人。日本の行方不明者の数が上回っているという現況です。

それほどに大きな災害だったことに改めて慄然とします。しかし、もう8ヵ月です。つい最近、8ヵ月ぶりに遺体が見つかったというニュースがありました。倉庫の解体作業にあたっていた業者が、倉庫内に積み上がっていたがれきや土砂などの下で発見したそうで、ご遺族の娘さんは「うれしくて、声も出なかった。やっと3人一緒のお墓に入れられます」と話していたといいます。

倉庫や家屋を解体するには所有者の許可が必要とのことで、未だ法的に緊急時の対応ができずにいます。台湾大地震が起こったとき、総統だった李登輝氏は4日目に6ヶ月限定の「緊急命令」を発動して、現行法令の制限を受けない措置を取ったことを思い出します。日本では未だに現行法令が障害となって、行方不明者の発見をはばんでいるのです。これはやはり人災というしかありません。

未だこのような状況にあるとき、改めて台湾からの大きな支援が思い出されます。物資や200億円を超える義捐金ばかりでなく、李登輝元総統が繰り返して出されていたメッセージや「台湾歌壇」の方々の和歌による心の支援を思い出します。どれほど日本人の心を癒し、そして支えになったか──。

日本政策研究センター(伊藤哲夫代表)の岡田邦宏(おかだ・くにひろ)所長が、その発行する月刊「明日への選択」というオピニオン誌の11月号の「付録」で、台湾歌壇や韓国の方の歌を紹介しつつ、「かつての日本」にあって、いま失ってしまった価値観について書かれています。

岡田氏の了承をいただきましたので、下記にご紹介します。この東日本大震災を機に、かつての日本人が持っていた慎みや忍耐、そして「毅然」を取り戻したいものです。

なお、冒頭の部分は日本政策研究センターが行った研修会のことでしたので割愛させていただいたことをお断りします。また、月刊「明日への選択」は非常にクオリティの高い雑誌で、台湾のこともたびたび取り上げています。皆様にもお勧めします。下記のホームページから申し込めます。
・日本政策研究センター  http://www.seisaku-center.net/
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「和歌」に込められたメッセージ  岡田邦宏(日本政策研究センター所長)
【月刊「明日への選択」:平成23(2011)年11月号「付録」】

◆「秩序乱れぬ大和の民ぞ」

東日本大震災は、日本人をして「国家と共同体」の厳然たる価値というものに目をむけさせました。既に大震災より7ヵ月が経過しようとしていますが、この国民的体験を風化させることなく、「国家と共同体」の価値、とりわけそうした価値が日本の歴史と伝統と文化のなかで育まれてきたものだということをもっと広く訴え続けなければならないと考えています。

震災に直面した日本人が、冷静で、思いやりを失わず、秩序だって行動したことが世界中から賞賛されたことはご承知の通りですが、海外から寄せられた声のなかで、そうした日本人の「美質」が、日本の歴史や伝統のなかで育まれたものであることを感じさせられる例を紹介したいと思います。

それは大震災にあたって海外から寄せられた「和歌」です。台湾では、かつての日本時代に日本語教育を受けた人だけでなく新たに日本語を学ぶ学生を中心に和歌に親しむ人がおられると聞いていましたが、大震災の後、日本を思って詠んだ和歌が発表されています。一部は新聞などでも報じられましたが、その原本を日本李登輝友の会の柚原事務局長からお借りし、『台湾歌壇』(第15集)と義守大学応用日本語学科が発行している俳句・短歌の雑誌『ゆうかりぶたす』(第2号)から、いくつか紹介させていただきます(括弧内は作者名)。解説は不要だと思います。

・ 雪の夜は如何に過すや校舎にて疎(すく)む避難者よ我も眠れず (黄振聲)

・ 国難の地震(なゐ)と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます (蔡焜燦)

・ 未曽有なる大震災に見舞はれど秩序乱れぬ大和の民ぞ (黄昆堅)

・ 原子炉の修理に赴く男の子らの「後を頼む」に涙止まらず (林美)

・ 荒れ狂ふ津波に避難報道す大和女(やまとをみな)の勲(いさお)雄雄しき (李錦上)

・ 大君も后の宮(きさいのみや)も艱難をともにと思(おぼ)して節電めさる (黄教子)

・ 民の嘆きわが身のごとく思し召す陛下の御姿ただに畏(かしこ)む (同)


この2冊には他にも百数十首が掲載されていますが、読み進むにつれて心が打ち震えるのを憶えました。被災者に寄せる思いの深さ、秩序だった行動や勇気ある行動に対する感銘とかつての「祖国」であるがゆえの誇り、そして天皇皇后両陛下のお姿への感動──知ってはいましたが、こんな癖まで日本のことを深く思っていてくれる方々がおられるかと改めて感激し、目頭が熱くなります。ちなみに、2首目の作者、蔡焜燦先生は『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』の著者として知られ、センターの台湾視察では大変お世話になっている方です。

この他にも、韓国人でも歌を寄せた人がいたことを最近になって知りました。戦前の日本で佐々木信綱に師事して和歌の道に入り、韓国では珍しい女流歌人であった孫戸妊さんを母にもつ、詩人・李承信さんが大震災にあたって詠んだ歌を産経新聞(10月8日)のコラムが紹介していました。

・ 惨事にもなお慎ましきその列は切なる祈り吾らへの教示

・ 危機の中さらに際立つ真(まこと)の美日本の配慮と忍耐こそ


「反日」の国でも、日本の「美質」をきちんと理解し称える人がいるとは驚きでした。

◆心に刻まれた「日本の価値」

それにしても、台湾の方々の正確な言葉遣いと作歌ぶりは、歌心の乏しい私などより余程日本人らしいと思えます。中国紙が「道徳の血が流れている」と驚嘆し、またロシア紙は「驚くべき自己統制と、他者への気遣い」を賞賛しましたが、紹介した歌に込められているのはそれとは明らかに違う次元のものです。

むろん、日本の伝統である和歌という形を通してだからかもしれませんが、かつての(戦前の)日本人がこの震災に遭遇していれば、こんな和歌を詠んだのではあるまいか──台湾の方々の和歌は、そんなかつての日本人からのメッセージのように思えて来るのです。

考えて見れば、これは決して不思議なことではないように思えます。60数年を経た今日もこれほど立派な和歌を詠むことを可能にしたほど、戦前に日本語を学んだ方々の心のなかに、「かつての日本」の価値が深く刻み込まれており、大震災に際して今の日本人が示した整然とした秩序や冷静さ、また公に対する勇気ある献身など「かつての国本」が持っていた「価値」と共鳴した──こう考えることができるからです。

韓国の詩人は、「真の美」と詠んだ「慎み」「忍耐」などの価値について、

・ その節制、忍耐、配慮、その毅然、亡き母の内に吾見たるもの

と詠んでいます。彼は、そうした「価値」を、日本統治時代に教育を受け戦後も歌を詠み続けた「亡き母」を通して見出しでいるのです。

◆「かつての日本」からのメッセージ

言葉を換えて言えば、こうした人たちの心に刻まれるほどの「価値観」を「かつての日本」が持っていたと言うことも出来るでしょう。

その一方で、ならば戦後の日本はどうだったのかと考えると、そんな外国人の心に刻まれるほどの「価値観」を持っていなかった、ということに思い至ります。「配慮」はともかく、「慎み」「忍耐」、とりわけ「毅然」は、どこにあるのでしょうか。台湾の人たちが感銘をもって詠んだ「公への勇気ある献身」をわれわれはどれほど大切にしてきたでしょうか。否という他ありません。むしろ、それらはみな「かつての日本」において、尊ばれるべき価値であり、そうした「かつての日本」の価値を否定するところから出発したのが戦後の日本だったとさえ言えます。

憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」と言い、教科書は専ら「個人が大切だ」と教えてきました。しかし、日本の精神的基盤というものから離れた個人などは空想でしかありません。

外国からの和歌は、その「精神的基盤」がどこにあったのかを今の日本人に指し示すと同時に、今の日本はどうかと問いかける「かつての日本」からのメッセージとして受け止めたいと思うのです。




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台湾からの祈りと激励を短歌で・・・
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中華民国に統治されてきた台湾人の怒りと悲哀
2011-10-10 Mon 02:28

今日は1949年に中国を追われて台湾へ移った流亡政権「中華民国」の建国100周年の祝日ということで、馬政権は前々からこの機会を借りて大々的にこの日を祝賀しようと期待していた。民国38年(1949年)に中華人民共和国に滅ぼされたことを知りながらも、今に至ってもこの流亡政権の事実を認めようとしない。 また馬政権の親中政策で「建国100」の建国という二文字を堂々と使うこともできないで、「精彩100」などと言って、人々を誤魔化している。

これはこの政党の常套手段であり、我々は幼い頃から彼らに騙され続けてきた。「共産主義を滅ぼせ」、「三民主義で中国統一を」、「蒋公は世界の偉人、人民の救世主」、「世界に孤立する中華民国」等は、今では総べて嘘であった事が証明された。実に厚顔無恥である。30歳の年に私は覚醒し、民主化に伴って私の身辺の友人達も覚醒した。

この流亡政権はこの島の人々にどんな「精彩」をもたらいて、今日恥知らずにも祝賀できるというのか。 以下の短歌はすべて当時のあの残酷な暗闇で助けもない時代を通り抜けてきた日本語世代の痛苦の回憶であり、読む度に歌壇の先輩方の短歌は私の胸をえぐり怒りを覚えるのだが、国民党は過去の台湾人の身の上に痛苦を与えたことを執政上の「精彩」と称して、過去を反省しようともしないのだ! 

今日彼らが「台湾を非法に占領して66年」を祝賀するのを、民進党も独立派の人々も選挙での再起を願うために沈黙しているのであろうか! 嗚呼、台湾人よ、このまま放任したままで、一体いつになったら目覚めるのだろうか! 蘇れ!台湾魂!



日本敗戦      http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-entry-62.html

陳 淑媛      四世紀に亘る外来の政権に我ら殖民と統治されたり

呉 建堂      宿命かフォルモサの民一生に三度の国籍更(か)ふるもありて

鄭 順娘      この島に二つの時代乗り越えて異なる国旗二つ掲揚す

李 錦上      台湾に生れしわれらの悲しさは母国・祖国と異国の相異

林 蘇綿      一生に国語いくつの台湾人日本語北京語台湾語など

曹 永一      新高が玉山となり次高は雪山となる苦難の歴史

劉 心心      めぐり来る八月十五日台湾の悲哀始まる忌はしき日よ

(同 上)      これよりは善き台湾と喜びし終戦の日の愚かさ悔やむ

蔡 龍鐘      ひしひしと身に沁む無念敗戦の捨て児となりし台湾哀れ

陳 皆竹      終戦で否応なしに国籍は「チャイナ」に替りぬおもしろからず

傅 仁鴻      日本が敗戦の時台湾の国造らざりしは遺恨なりけり



台湾光復
 
荘 淑貞      平和の国我がフォルモサに禍を持ち来るチャイナ人土地を汚せり

(同 上)      美しき我がフォルモサに塵散らす外省人は道で痰を吐く

傅 仁鴻      支那人が台湾に来てやることはすじの通らぬことでいつぱい

蔡 永興      占領軍の支那兵実は無法者中学生のそのころのこと

陳 皆竹      占領を「光復」と呼ばふ台湾に真の「光復」本土化成りぬ

林 彦卿      光復は幸福なれど泥棒も詐欺強盗も途端に増えたり

黄 華浥      戦前は物少なくも「正」ありて戦後来たりしは横領の群

黄 培根      強盗に詐欺横領の断へ間なく台湾晴れの日待ち遠かり

荘 淑貞      終戦後賄賂の多きこの国に不正工事の風盛んなり

陳 英侯      戸を壊し我の住居に盗み入る戦時の住まひは錠前いらず

陳 皆竹      終戦の安堵と希望消え失せて続くは二二八と白色の恐怖 

荘 淑貞      終戦の喜び束の間民国に変はり殺人白色恐怖
  

二・二八事件   http://twnyamayuri.blog76.fc2.com/blog-entry-50.html


戒 厳

蔡 西川      台湾は世界記録あり外来政権戒厳令の三十八年

林 肇基      日の本に原爆落しフォルモサに暴君落とせし罪軽からず

陳 淑媛      半世紀に亘る独裁政権に台湾丸の航海時化続く

蔡 西川      流れゆく歴史の中に揉み揉まれ戒厳四十年の苦難を嘗むる

蔡 西川      台湾に政治スローガン殊に多し反攻大陸統一中国

林 肇基      「漢賊不両立」なくば追はれじUNの門奇しき運命にさまよふ民は

許 育誠      四十年の戒厳令は類なく居直る議員老賊と呼ばるる

温 西濱      麗しき我等の郷土は四十年独裁統治の殘滓にみだる



白色恐怖

黄 華浥      北鮮軍南下にコレアウオーアメリカも反共ぞと蒋は虐殺始む

林 燧生      青空も恐怖に満ちぬ戒厳に島人喘ぐ白色のテロ

頼 榕煌      駅前の銃殺布告の人名に消却の朱墨血の如く散る

黄 培根      異郷にて帰れぬ人ら口ずさむ黄昏の故郷涙にむせぶ

江 槐邨      寒波の朝謀叛の廉で逮捕され母は悲しく吾を見送る

(同 上)      法庭は世論を騙す飾り物生くるも死ぬも好き勝手にて

(同 上)      暴動の罪かぶせられ隊友は送り返され馬場町に消ゆ

(同 上)      「先に行く」一言残して烈士去る夜明けの馬場町熱血に染む

(同 上)      「親を頼む」言葉今尚胸を裂く白色テロの遺族の悪夢

(同 上)      重労働政治課学習繰り返し緑島に辛き月日を送る

(同 上)      吾(あ)を憂ひ病み臥す母を緑島に最期の別れ叶はぬを嘆く

(同 上)      緑島(しま)に二年流され新店の監獄に十年の青春を空しく過す

(同 上)      八坪の間に三十人閉ぢ込めまれ高き小窓に雀が覗く

(同 上)      沐浴とトイレも共に部屋の中日に三回供水乏し

(同 上)      不敬問はれ手足縛られ宙ぶらりに担ぎ廻され室友(とも)不具になる

(同 上)      足枷着け処罰の労働に娑婆に出る鎖の音朝の静けさ破る

(同 上)      獄内の裁縫工場に身を投ずミシンの響きに暫し吾を忘る
 
鄭 埌耀      「知情不報」の罪と言はれて血の気失す蒋政権下特務の部屋に

(同 上)      人命を弄する快感蒋介石は死刑死刑としきり加筆す

(同 上)      滔滔と独立を説く対談のゲストは離島監獄十八年

(同 上)      腫れし眼も血走りし眼も肩落としここより引かれり緑島監獄

(同 上)      酷刑に弱りし足腰同胞は手枷足枷この道行きしか

(同 上)      吾を訪ひて国府の罪状説きし君刑場に消ゆわが名挙げずに

(同 上)      如何程の拷問に耐へし我の名は挙げずに君は刑場に消ゆ

黄 華浥      日記にて蒋介石批判それだけで三年の刑受くる口惜しさ

(同 上)      ただただに学生デモに参加のみで有期懲役をあな二十三年

(同 上)      嘘付きよ署名をすれば帰れると騙され若人刑場に散る

(同 上)      毎週の火曜に金曜朝六時帯銃憲兵四人来て名を呼ぶ

(同 上)      翌日も十二人の若者数珠繋ぎ後逆手に馬場町血に染む

(同 上)      「共匪」ぞと死刑判決若者は最期の雄叫び「支那万歳」と

(同 上)      激しくも胸の鼓動は鳴り止まず今ぞ若者一人殺さる

(同 上)      あの男殺人魔なり蒋介石銃殺前後の写真を欲しがる

(同 上)      マルクスよ汝は知るや汝の「資本論」読みし若者幾千殺さるを

(同 上)      馬場町に散りし人らの怨霊よ苦難に満つる台湾守(も)り給え

黄 振聲      白色テロ半世紀過ぎしも目に浮ぶ惨き仕置きをいかでか忘る

(同 上)      真夜中に白色テロに捕はれて既に六十年猶も戦く

(同 上)      誰が為ぞ命捨ててもかへり見ず白色テロと戦ふ闘志

(同 上)      学び舎の鐘訴ふる如鳴り叫ぶ模範生を何ど刑場の露に

陳 火桐      軍法は獄窓に重く垂れこめて政治判決覚悟して待つ

(同 上)      若き身の知性も誇りも奪われて政治犯の労働厭わし

(同 上)      獄窓はわが青春に独立の夢を刻し真空の舞台

(同 上)      戒厳の戦乱条例取消され祖国の自由を胸に吸ひ込む

(同 上)      台湾に生れし悲哀その中にわが辿り来し悲哀重なる

蔡 紅玉      白色の恐怖銀行に押し寄せて憲兵どかどか同僚連れ去る

(同 上)      默然と見つむる同胞の遭遇に芽生ゆる信念台独への道

潘 達仁      獄死せし熱血男子の郷愁か緑島の磯のさざ波の声

呉 順江      緑島に赤く咲きゐる野の花は斃れし人の血の跡ならむ

劉  丕       非業の死遂げたる先烈悔しかろ骨を抜かれしはらから多く

黄 華浥      悲しきは白色テロに二二八事件忘れられしか怨霊の泣く


解厳・民主化運動

陳 皆竹      解厳後津々浦々になべて聴く哀愁隠るる母国の禁歌

鄭 埌耀      国共の闘争の続き戒厳令賠償は台湾がと国民党の詭弁

蔡 西川      外来政権は此の地に戒厳三十八年謝罪なく解除を徳性と言ふ

 石蔵      民主とふ華うるはしく台湾の独裁の夢天罰招く

蔡 永興      自由なき専制政治に傾くも命の限り我闘はむ

許 育誠      野党立つ民主の潮澎湃と奴隷根性断つべき秋

(同 上)      一党の専制政権半世紀革新唱へど我は踊らず

(同 上)      総統の民選願ふ先達の思ひ叶ひて民心の沸く

胡 月嬌      権力に酔ひ痴れて為す圧政は驕れる警察民を乱打する

鄭 埌耀      警棒に立ち向ふ勇敢がデモクラシーを生むなれば行け

(同 上)      長棒を斜に構へてデモ闘士人権を手に掻きとらむとす

(同 上)      水柱の驅散の前のイデオロギー宣伝車より三人転び落つ

(同 上)      白髪に秘むる苦節の哀しさよデモの老者の無言に歩む

(同 上)      新しい国を作ると獅子吼する大き壇上の小さき男

(同 上)      建国の茨の道に火な吹きそ手足の細き同胞が行く

荘 進源      流刑にも似たる受難の台湾人自由と民主求めて直走

(同 上)      台湾は試行錯誤を繰り返し植民地より民主国へと

黄 培根      総統府色塗り替へたり迷航の台湾丸は涯なき海を

王 進益      国思ふ人らの祈り台湾の民主記念館権現めでたし

(同 上)      宿借(やどかり)の独裁公論に消えゆきて民主の本殿陽の照りわたる



元凶蒋介石

鄭 埌耀      元凶は蒋介石と公然と言へる此の世は台湾のもの

黄 培根      民主館に介石の面目躍如なり神と悪魔は紙一重なり

郭 文良      歴史館の蒋介石の微笑に若き子の知らぬ時代の流れ

呉 炎根      殺人魔を救世主とぞあがめしきおろかな民よとく眼をさませ

(同 上)      反省なき加害者をゆるし甘んじてまた害を受くるおろかな民よ

(同 上)      うばはれし財産をば金で買いもどすおろかなる民よ台湾人は

黄 華浥      怒り来る腰抜け政府蒋父子の墓をば民の税金で建つか

陳 皆竹      銅像は含み嗤ひして今も立つ梟雄戒厳三十八年

鄭 埌耀      石投げてあつれば人撃つ音もせむ「救星」とある蒋の銅像

洪 坤山      独裁のフセインの銅像倒されり蒋介石像消ゆるは何時か

黄 培根      二二八蒋介石の像に涙湧き白色の亡魂なく彷徨う

(同 上)      反共が親共となり馬政権介石像に血の涙湧き出づ

蔡 紅玉      蒋介石の「大中至正」は卸さるれどとはには消えぬ暴政の歴史


流亡政権

鄭 埌耀      目的に手段選ばぬ国民党讃へらるべき革命精神

鄭 克温      内外の波濤乗り越えずさんなる大陸反攻の夢に終止符

荘 淑貞      フォルモサの悲哀民国に変り来て昔の平和名残を惜しむ

呉 炎根      民主の名と形式かりる独裁の島となりたるあゝわが台湾

(同 上)      正義感も使命感もなき政治ゴロのはばきかす島あゝ台湾は

(同 上)      汚職とふは常識なりとうそぶける役人の島哀れあゝ台湾

(同 上)      総統の無能ぶりをば憤るもなすすべのなき民あゝ台湾

鄭 埌耀      日領時の秩序に馴れて為政者は民護(も)るものと思ひし迂闊

(同 上)      大陸の紅包文化に席捲されて日本育ちの周章狼狽

黄 華浥      台湾にゼロで来りて横領の今や世界一金持ち悪党

呉 炎根      政党と財閥に国を牛耳られ彼等富ます為民は汗流す

曹 永一      戦前の日本統治治安良し今は鉄窓牢屋に住む如く

蔡 西川      わが生くるイラーホルモサの山や川エコも人心も汚染甚だし

呉 炎根      党歌が国歌といふは納得ゆかぬ独立とふは子供だましか

潘 建祥       芋っ子の馴染めぬ歌や「唱国歌」気まずき都度の沈默抗議

(同 上)      初日なる青天白日旗目障りと人等そっぽを向けて行きけり

王 進益      国号は台湾なりと憲法になき双十節を我の悲しむ

張 瑄爐      国慶を祝ふ花火了へ群集の散りし広場はただ秋の風

黄 培根      国名なく国際地位もなきこの島未だに彷徨う亜細亜の孤児よ

陳 清波      国内は自称中華で国外は台湾よ呼ぶ国の不可思議

(同 上)      台湾と中華のどちらを選ぶかね人と幽霊との違いだが

王 仲癸      オリンピック金を獲れども国旗無く歌ふ国歌無く国号も無し

劉 玉嬌      台湾を何故台湾と名のり得ぬ奇つ怪なる国旗国歌のジレンマ

黄 華浥      不思議なり「台湾隊」と名乗らずに幻の「中華隊」使ひゐる

曹 永一      隣国のオリンピックに憤慨す台湾消えて中華台北

潘 建祥      中華とは拘泥久しき他国名迷惑極まりトラブル原点

荘 進源      過ぎし日の汚名雪がんと躍起する時代錯誤の中華民国

張 瑄爐      中華民国ありやなしやと両政党デモ行進に己の主張

洪 坤山      捏造と歪曲されたる教育に愚民化されし台湾悲し

(同 上)      名のみなる中華民国の軛より抜け出でざるは台湾の悲哀



総統選

林 彦卿      独立の夢遠のきし総統戦台湾人の悲願かなはじか

郭 清來      外来の暴政に仆れし霊魂の加護ありて勝つ千分の二二八

蘇 楠榮      不義の徒が選挙に負けて国乱す何故默したまふ雷の神

(同 上)      咲き誇る杜鵑の路を杖と行き憤怒悲哀の心慰む

(同 上)      立ち上がる台湾国の道阻む見利忘義と冷漠の民

曹 永一      八割を占むる芋っ子選挙では常に苦戦す歴史の悲劇

鄭 埌耀      外来人を総統に選る台湾人は金と金とで其の謎解くる

(同 上)      凛然と台湾意識を堅持する五百四拾四万の中に我居る

劉 心心      騙されし七百万の選民よ今こそ悟れかの国の悪

胡 月嬌      台湾人自業自得ぞしかすがに今こそ立てや反骨の民

荘 進源      国会の議員選挙は暗澹たり一党独裁の影忍び寄る

鄭 埌耀      若きらは一党独裁の弊知らず統独論に事大主義選る

林 肇基      一票持ち運命(さだめ)の岐路に立つ民よ悪銭にゆめ国を忘るな

黄 培根      台湾は売り物に非ず全民よ乾坤一擲この地を守らむ


馬政権

黄 華浥       あの馬は大嘘付きよ経済はすぐ良くなると民を騙し

(同 上)      あの馬の嘘を信じて大量の株買いし人自殺のありて

(同 上)      あの馬は就任するや台湾の二字を消したり嘘付き馬よ

(同 上)      あの馬は無能の政府就任より物価高騰世は騒然たり

周 福南      台湾の主権などなき統一の危機迫れるを誰か憂はず

(同 上)      馬政権まむしの国に諂ひて宝の国を売らんとしたり

(同 上)      目覚むれば口先だけの政権に責任はなし経済立たず

(同 上)      急激に中国傾斜進みたり信じられざる朝野の抗争

(同 上)      不景気に失業の波打ち寄せて暮らし苦しき台湾の悲劇

鄭 埌耀      外人を総統に選りて今更を人等の騷ぐ国盗らるると

黄 培根      馬総統の統一理念鞏固なり赤化の足音徐々に迫り来

傅 仁鴻      台湾と支那は氷と淡水だよ愚か者だけ統一を言ふ

黄 培根      馬政権傾中政策は露骨にも日増しに募り脅威を覚ゆ

(同 上)      馬総統連任を遂げ統一への理念は達せぬとの風評心強し

蔡 永興      程もなく民主も消えむ馬の手にて台湾人よまだ気付かぬか



親中売台

荘 進源      台湾に祖国の押し売り悪質のセールスマン中華民国

黄 培根      対岸のミサイル眈々と脅威日に増し海峽の波涛依然と高し

潘 達仁      しな人の台湾脅迫昴じ来て統一狂喚マースを呼び寄す

荘 進源      中共の横暴恐喝いつ果つる国連の悩み台湾の悲哀

(同 上)      売国奴反民主なるマスコミが猖獗し居り夜明けの台湾

潘 達仁      マスコミは外省人(よそもの)達の手にありて台湾独立夢未だ遠し

陳 淑媛      絶え間なき政争の続くニュースフォルモサの民の日日撹乱されて

陳 皆竹      捏造し煽動しつつ書きなぐる新聞記者は乞食に如かず

黄 教子      不可解なことの一つぞ反共の戒厳布きしが媚共の党に

蘇 楠榮      親中派叛徒踊らせ国乱す憂へざらんか明日のフォルモサ

鄭 埌耀      独裁の夢醒めやらず落魄の政治屋北京に日参をする

(同 上)      愛将の北京詣でに蒋介石寝柩に夜な夜な寝返りの音

(同 上)      台湾売ると支那詣でする政客に台奸議員の憚るを泣く

(同 上)      手ぶらでは相手にされぬ国共会談台湾赤化を引き出物とす

(同 上)      あまりにも大きすぎゐて近すぎる与太の隣国台湾狙ふ

文 錫樫      団圓と捩りて名付け台湾へパンダを贈る本音は併呑

黄 培根      国売られ御礼申し上ぐるこの時局台湾人よパンダに如かず

(同 上)      ECFAは何事や老いも若者も誰もが知らず神様が知る

林 彦卿      中国とECFA結ぶは我は不利火を見るがごと明らかなりき

黄 昆堅      ECFAとは名ばかりの罠ずるずると併呑の魔手にフォルモサ喘ぐ

陳 淑媛      大陸に一辺倒の馬政権に美はしき島は売られゆくかな

鄭 埌耀      何時にても夜逃げの準備グリーカード哀れ二千万使ひ捨ての民

黄 華浥      横領の金以て国を盗むのかシナタイワン人の台湾を売る

蔡 永興      売られても団結出来ぬ台湾の悲哀いつまで天よ導け

胡 月嬌      政権を奪る為ならば敵国と組むをも辞さざる政党おどろし

黄 華浥      後代の歴史家は問ふ何ゆえに台湾人は国民党支持か

林 肇基      体制に癒着せし者いざ将に歴史といふ名の法廷に立つべし


赤 嵐

楊 瑞麟      赤嵐何故に台湾吹き荒ぶ汝育める素朴な島を

蘇 楠榮      幾十年台湾米を食みて尚夢を彼岸に繋ぐ輩よ

(同 上)      台湾の水と米もて長らへし亡命の民忘恩の民

(同 上)      麗しき我が母国にはびこれる欲と邪悪の醜の民草

鄭 埌耀      台湾の名稱を嫌がる台湾人が台湾人の顔する不思議

黄 培根      この島に生を享けしにそを認めぬ族群ありて悲憤の極み

陳 皆竹      高級の外省人と自負すれど身許洗へば落人の裔

劉  丕       己が身を育み呉れしこの島を棄つる移民の何故斯く多き

林 燧生      台湾は台湾人の母国なれど裏切る者も台湾人なり

黄 華浥      悲しきはどいつもこいつも政治屋かあの馬の側に立つ台湾人



目覚めよ

曹 永一      百年祭り台湾と何のかかはりなし中華民国消えて久しく

 石藏      建国と売国共に愛国と是非なき時勢詭辯に迷ふ

(同 上)      国の為団結叫ぶ政党ら台詞にこむる台湾魂

荘 進源      哀れなり自尊心なき台湾人大中国の奴隷となるか

黄 華浥      台湾とシナの戦ひ早や起こり眠る芋っ子早く目覚めよ

(同 上)      台湾人国民党の圧政に踏まれて尚も目の覚めぬかや

蔡 龍鐘      フォルモサの政局みだす悪魔の手中国のわるだくみ台湾めざめよ

林 肇基      諸悪のもと悪銭のある限りフォルモサ永久に日の見るまじ

李 聡火      台湾民主に冷や水かくる本島人奴隷根性何時まで続く

曹 永一      台湾の覚醒促す肺腑の言「流亡政府」「棄馬保台」

陳 清波      光復節虜にされし悲哀の日今だ尾を引くK党の禍

(同 上)      光復節台湾悲哀この日から目覚めよ同胞挙った一票で


母なる台湾

鄭 順娘      人生の病苦乗り越え我行かん国家誕生の陣痛を待つ

黄 華浥      台湾の独立待ちて幾十年未だ成らずを爺々老いゆく

郭 清來      解けがたき統独のどよみ台湾人の怒號天を衝く蓬莱意気地

呉 炎根      心ここにあらざる者は早く去れ我等の台湾は我等で守る

荘 進源      奴隷化の台湾省となるよりは民主主義の台湾国たれ

陳 清波      中華とは中国に繋ぐ首枷ぞ亡国さけるに急(せ)け台湾(ハハ)の名を

潘 建祥      わが島に血染めの赤は嫌はるる繁栄広めむ緑の大地に

蔡 紅玉      台湾を台湾と呼べぬ憤り待たるる正義よ我らの上に

龍 英子      国の名は台湾共和国高高とかかげましょうよ台湾の旗

傅 鴻仁      台湾が国の名となるわが願ひかなふるまでは死なじと決むる



憂 国

蔡 西川      終戦後六十三年台湾は地位未定にて浮き草の如し

蔡 龍鐘      荒波にもまるる台湾難航の行く方へはいづこ今もさ迷ふ

洪 坤山      「支那教育」に洗脳されし台湾人子孫の暮し思はざるにや

陳 皆竹      白色の恐怖の酷きを知る故に国民党の復辟を忌まふ

鄭 埌耀      八年の人権民主が崩れ行く血をも吐かむか阿扁と共に

陳 皆竹      チャイ二ーズが政権執らば日台の絆は如何にと日にち憂ふ

江 槐邨      介石廟に中国のツアー来る世相この島激しく変るを憂ふ

陳 火桐      台湾の未来思ひて寝ねがたき夜のしじまに五月雨ぞ降る

蔡 西川      台湾の行末憂ふる長き夜を熟れて落ち来る竜眼を数ふ

劉 玉嬌      選挙戦あけの日待つに心おののくわれらのがまんもう限界なり

蔡 焜燦      この国に台湾魂根付きゆけ独裁拝金いつか消えなん

(同 上)      いざ子らよ嘘つき騙り唐人の悪しざま学ぶな潔き道ゆけ

王 進益      荒波に沈まんとする台湾ぞ狂風来たり腐敗ぶった切れ

潘 建祥      相次ぎて嵐が齧る台湾の苦難の民に天佑が随く

胡 月嬌      芋っ子よ涙を拭きて立てよかし茨の道も耐へて往くのみ

林 肇基      踏まれても藤より粘る島人にやがて花咲く春の来るらむ

蔡 西川      赤禍軍台湾海峡に来襲す団結対抗のZ旗は昇れり

蔡 焜燦      黄塵に襲はれ煙るこの国よ支那に呑まるな肩組み抗へ

蔡 西川      新高の山に向いて祈るなり母なる国の幸多かれと




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